避妊の知識を広めたものと妨げたもの—共感できるフェミニスト・共感できないフェミニスト 6-(松沢呉一) -2,468文字-
「堕胎肯定で発禁になった「青鞜」—共感できるフェミニスト・共感できないフェミニスト 5」の続きです。
優生思想と産児制限
前回書いたように、戦後はまた別として、戦前の日本で産児制限運動を担ったのはもっぱら社会主義者とその周辺の人たちです。加藤シヅエもその一人です。
なぜ社会主義者が避妊を推奨し、その方法を伝授することに力を入れたのかがわかりにくいかと思いますので、ここで産児制限論の分類をしておきます。
産児制限論は幅が広く、それぞれ重なる部分もあるため、きれいに分類はできにくいのですが、大きく三つの流れがありました。
ひとつは国家主義的、民族主義的視点による産児制限論です。これはナチスが典型です。「劣悪な種を排除することによって、民族の優化を進め、強い国家を建設する」というもの。そのためにユダヤ人、ジプシー、同性愛者、売春婦、精神異常者らが抹殺されたのはご存知の通り。対して純粋なゲルマン民族は出産を奨励されました。
日本ではそこまでは至らなかったとは言え、優生思想は広く支持され、浸透し、戦前の国民優生法、戦後の優生保護法につながり、ハンセン病患者などに断種と強制堕胎が実施されています。
これは結婚さえできないのは無情であり、断種することで結婚ができるようにするという考え方があったためであり、結婚する際に断種手術が義務づけられていました。
しかし、そもそも子どもに遺伝をするという根拠がなく、1996年に優生保護法が母体保護法になった際に、この条文は削られました。つい最近まであったわけです。
この優生保護法自体が、その法律名からわかるように、優生思想に基づくものであり、戦争が終わって間もない昭和22年(1947)、この法律を提出したのは日本社会党の衆議院議員だった加藤シヅエでした(ただし、この時は成立せず)。
ここがちょっと面倒なところなのですが、マーガレット・サンガーも加藤シヅエも優生思想を広めた人物なのです。ただし、国家主義とは違う視点からの優生主義者でした。
※写真は加藤シヅエ。ウィキペディアより
マルサス主義と産児制限
続いて、社会的視点による産児制限の流れがあります。この考えの根拠になっているのはマルサスの『人口論』です。
「無策でいると人口は幾何級数的に増大する。それにともなっては食料生産は増えず、飢餓や疾病を増大させ、土地や食料を確保するための戦争は必然」ということになり、貧困の解消、戦争反対の立場から人口を抑制する必要があるという考えです。とくに日本では社会主義者から支持されます。
微妙な点を含みつつ、ざっくり言えば、この立場は戦争ができる国家を目指す人々とは対立する関係にあります。
マルサス自身は「婚期を送らせることによって人口を抑制する」と考えていたのですが、コンドーム等の避妊方法が確立されたことで、「避妊によって人口を抑制する」という新マルサス主義が出てきて、これがマルサスの母国である英国で始まる産児制限運動です。
この新マルサス主義の人たちもしばしば優生思想を取り入れていました。これは貧困対策からです。
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