松沢呉一のビバノン・ライフ

土葬の村—怪談ではない飲み屋街の怖い話 3-[ビバノン循環湯 203] (松沢呉一) -4,665文字-

死体が解体されるマンション—怪談ではない飲み屋街の怖い話 2」の続きです。 

 

 

 

煙草も自家製

 

vivanon_sentence続いて、ママは田舎の話を始めました。

「母親の実家は島根で、今は雲仙市と合併したけど、もとは郡にあった村で、その中でも大字がつくような山奥だったんですよ」

彼女個人のプロフィールを知りたかったわけではないので、どういう事情か詳しく聞かなかったのですが、彼女は横浜にいる母親から離れて、小学校2年までおばあちゃんに育てられました。離婚して、子どもを育てるのは大変すぎて、彼女は実家に預けられたといったところか。

「すごいところなんですよ。山の中に点々と家があって、隣の家まで何十メートルも離れている。どこまでが誰の土地かなんてことも気にしていない。土地がいくらでもあるので、勝手に家を建てたり、畑にしても文句は言われない。店もなんにもなくて、一番近いスーパーに行くにもバスで行かなきゃならないんだけど、バスが1日2本しかない。その代わり、スーパーが購買車というのを出して、山の中を走って商品を売りに来るんですよ、音楽を鳴らしながら。バスの中にいろんな商品が積まれていて、ちょっとしたコンビニみたいなものです。それが週に1回だけ来る。でも、当時はまだうちに冷蔵庫がなかったんですよ。流し場の横に石の入れ物があるだけ。だから、生鮮食品を買っても保存ができない」

1980年代の話ですよ。私も北海道の田舎育ちですが、それでも20年くらい時代がずれている感覚です。

「山菜やキノコを山で採るのはもちろん、そこの人たちは野菜を全部自分で作る。自分たちで吸う煙草まで栽培してました」

これは違法でしょう。

「腐らないように、なんでも煮物にして、石の容器に入れておくんだけど、煮直せば腐らないと信じているのか、1週間くらい食べ続けるんですよ」

私もよくこういうことをしますが、夏場だと翌日には味がおかしくなったりします。味がおかしくなっても食えますが、3日目には危ない。 その石の容器に現代の科学でも解明されていない効果があったりするのかも。完全密閉されていればハエやゴキブリがやってこない効果は確実に期待できますし。

 

 

学校まで往復4時間

 

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大人はまだしも移動距離が少ないし、たいていの人が免許を持ってますから、遠くに行く場合は車を使えばいいのですが、こういう場所で暮らす子どもたちは大変です。

「学校まで2時間くらい歩きます」

往復4時間はきっつい。

「6時頃には家を出る。雪の日は時間がかかるので、6時前に出てましたね」

山陰地方の山間部は積雪量が多いのであります。

「今でもよく覚えているけど、小学校1年の時に、どうしてもアイスクリームが食べたくなったんですよ。アイスクリームを売っている店まで徒歩だと片道3時間かかる。それでもどうしても食べたくて、3時間かけて歩いて、その場でひとつ食べて、もうひとつは家で食べようと思って持ち帰ったら、ベチャベチャになっていて悲しかった(笑)」

小学1年生だと「溶ける」という知恵がまだなかったわけです。

「だから、新鮮な肉とか魚とかとあまり縁がなかった。海が遠いので、とくに魚は新鮮なのをなかなか食べられない。私がそこを離れてから冷蔵庫を買ったんだけど、まだ感覚が古いままなんです。中学の時に、おばあちゃんちに行ったら、“せっかく帰ってきたんだから、新鮮な魚を買ってきた”というんだけど、干物なんです。私が横浜に移ってからは、新鮮な魚を食べられるようになっているから、それが干物だってわかるんだけど、せっかくおばあちゃんが出してくれたものだからって、“おいしいおいしい”って言って食べたことを覚えてます」

歳をとると、干物も美味しくなりますし、ものによっては干物の方が美味しいですが、私も子どもの頃は干物の美味しさはわかりませんでした。

 

 

河童の出る便所

 

vivanon_sentence「それでもまだうちは恵まれてました。おばあちゃんは看護婦をやっていて、スーパーがあるところまで出ることがあって、その時に刺身を買ってきてくれたりする」

ここは詳しく聞かなかったのですが、ふだんは近くの小さな診療所で働いていて、たまに市内の大病院に行くということのようです。

「だから、金持ちではないにしても、近所の人たちに比べるとマシな生活をしていた。でも、そういう時以外は、店がないので、買いたくてもなかなか買えない。オヤツはキュウリとかスイカとか、その辺に生えているものをとってきて塩をつけてを食べる。あとはザリガニやサワガニを捕ってくると、おばあちゃんが砂糖で甘く炒めてくれる」

それはそれで美味そうだけれど。

「私がいる頃はぽっとんトイレで、おばあちゃんに、夜のトイレには河童が出ると教えられて、怖くて怖くて、夜はおばあちゃんを起こしてトイレに行っていた」

ニオイがしないように家の外にあって、下駄を履いて行くトイレです。河童はそんなところにいないと思いますが、尻子玉を抜くには都合がいい。

検索したら、鳥取には河童が便所に出るという言い伝えがあると出てました。

中国地方の河童は便所にも出るのか。 河童じゃなくても、便槽から何か出てくるというのは昔のお化け話の典型で、私も小さい頃は便槽から手が出て来るという話を親から聞かされました。そういうことを言うから私は寝小便がなかなか治らなかったのであります。

そんな家に住んでいたことはないですが、私も外の汲み取り便所は苦手です。大人になった今も苦手。お化けが怖いんじゃなくて、クモが嫌いなものですから。でっかいクモが壁に張り付いていたりするんですよね。どこで見たのか忘れましたが、小さい頃、実際にそういうことがありました。怖くてウンコができなんだ。

クモがいなくても、雨の日、寒い日は外に出たくないですしね。

「その部落では、子どもはもう家を出て、自給自足の生活をしているような年寄りが多くて、毎月現金収入があるというだけでも特別で、トイレが水洗になったのもその地域ではおばあちゃんちが一番早かった。私が小学校2年の時に水洗になって、近所の人がみんな見に来ました」

1980年代にやっと初の水洗便所ができたのです。

 

 

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