松沢呉一のビバノン・ライフ

刈り上げはもっとも高度な技術—美容院でカットモデルを初体験 上-[ビバノン循環湯 295] (松沢呉一) -4,597文字-

ちょうど10年くらい前にメルマガに書いたものです。長いわりに、そんなにたいした話ではないのですが、このあと予定している原稿に内容が関わっているので、参考資料として出しておくことにしました。

メルマガの段階では駅名を記載していて、美容院がどこかが特定できるようになっていたのですが、今回は特定できなくしています。事実を述べているだけで、とくに美容業界を貶めるようなことは言ってないですけど、「刈り上げの技術は、美容師は理容師には絶対に勝てない」といった話は同業者から「事実だけど、言うなよ」と怒られそうです。これはもともと雑談で聞いた話を書いたもので、許可をとっていないこともありますので、特定できそうな情報はカットしました。ちなみにこの美容院は現在もあります。

もともとこの駅に行ったのは事情があって、それについても美容師から聞き取りをしてます。当時のメルマガ読者はわかるとして、それ以外の人たちには話が通じにくく、説明するのも面倒なので、その部分は全部カットしました。

この頃の私は今のような完全な坊主ではなく、横と後ろは刈り上げ、あとは長めにしていて、中に書いているように、だからカットモデルとして格好の人材だったらしい。白髪が増えてきたので、坊主にするようになったのは、この数年後のことです。

冒頭で「男の子」と書いてますね。20代半ばだったと思います。タイプによりけりでしょうけど、小僧みたいな20代半ばだと「男の子」って感じがします(「自称で使用される「女の子・男の子」のズレ」参照)。

 

 

きっかけは刈り上げ

 

vivanon_sentence駅から出たところで、若い男の子が声をかけてきました。

「すいませんけど、カットモデルをやってもらえないですか」

「はっ?」

チンコの裏スジをカットする身体改造のモデルでも探しているのでありましょうか。

「そこの美容室の者です」

彼が目で示したところに看板が出ています。

そりゃ、私は見るからにモデルみたいですから、声をかけたくなるってもんでしょう。

「刈り上げさせてくれる人を探しているんです」

なんでワシが美容室のカットモデルとして狙われたのかと思ったら、刈り上げなのですね。女子で刈り上げをさせてくれる人材はなかなかおらず、練習ができないらしい。そこにたまたま通りかかったのが私だったのであります。

普段はパッツンパツンに刈り上げているのに、そこそこ伸びているのを目ざとく見つけたのでしょう。

私としても、ちょうど床屋に行こうと思っていたところだったので好都合。ということで、週末の夜にカットモデルをすることになりました。

Suzuki Harunobu「Combing His Hair」

 

 

刈り上げ技術は美容師にとっても基本

 

vivanon_sentence土曜日の夜、その美容院に行ってきました。営業時間が終わったところで、店には彼と上司(たぶん店長)の2人しかおらず。

カットモデルというのは普通に髪の毛を切ってもらうだけなんですね。それ以上、何を期待していたのかって話ですが、美容師さんたちが「ああでもない、こうでもない」と議論伯仲のもとで髪の毛を切っていくんだとばかり思ってました。そこまでのことはないにしても、もっと練習台っぽいのかなと思っていたら、私の希望を聞いて、出来上がったところで上司がチェックし、「ここの部分にラインが出てしまっているので、もう少しなだらかに」と指導して、そこをやり直しただけです。

彼はど新人というわけではありません。カットモデルは、新人さんがやるだけじゃなく、覚えた技術を忘れない意味合いもあることを初めて知りました。

「刈り上げのお客さんは少ないんですけど、できないわけにはいかないじゃないですか。前は毎日練習してましたよ。人がいない時は人形を使って」

それにしたって、客が少ないなら、そこまで練習しなくてもいいじゃないかと思ったのですが、刈り上げは、理容だけじゃなく美容の世界でも基本中の基本になる技術らしい。

「刈り上げは髪の技術の中でもっとも難しいと言われているんです。長い髪だとごまかしようがありますが、刈り上げはミリ単位のズレがあるだけでわかってしまう」

言われればその通りってことですが、どこの床屋さんに行っても刈り上げに失敗はほとんどないので、そんな高度な技を注ぎ込んでもらっている自覚がありませんでした。

バリカンで坊主にするのは簡単でしょうけど、刈り上げる部分と、長い部分が共存している髪型だと、その境界線をハサミで調整しなければならず、左右のアンバランスがそこに出やすい。たしかにそこにいつも時間がかかってます。私はまさにカットモデル向きってわけです。

「やり方は大きく3種類くらいあって、店によっても違うし、個人によっても違うので、それを全部マスターしたいんです」

ここでの「やり方」というのはプロならではの話でしょうから、聞いてもピンと来ないと思って聞きませんでしたが、雲竜型とか、いろいろあるんでしょう、きっと。

「刈り上げに関しては、美容師は床屋さんに絶対に勝てない。僕がこんなことを言っちゃいけないですけど、刈り上げをするなら床屋に行った方がいいですよ。あちらは毎日やってますから、こなしている数が全然違います」

正直者。

Mary Cassatt「Denise at Her Dressing Table」

 

 

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