松沢呉一のビバノン・ライフ

道徳はフィクションである—政治家の下半身を叩くのはほどほどに 下-(松沢呉一)-3,371文字-

フランスと日本の違い—政治家の下半身を叩くのはほどほどに 上」の続きです。

 

 

道徳を誰もがつねに実行すると町が滅びる

 

vivanon_sentence前回書いたように、道徳は限りなくフィクションです。「だから価値がない」というのではありません。逆です。実現が難しいから価値があるのです。

道徳の教科書と違って、実社会では、複数の徳目がぶつかり合う局面はザラにあります。おそらく多くの人が「答えはひとつではない」と言いたがるのは実社会でのことかと思います。

一例を出しましょう。

台風のあと快晴になって、夏休みの小学生たちが河原に出て水遊びをしてました。台風のために水かさが増えていて、一人の子どもが足を滑らせて川に転落してしまいます。

大きな町の中を流れている川なので、川岸には多数の大人たちがいますが、何ぶんにも増水しているので川の流れが早く、大人でも危険です。警察や消防隊に連絡をしますが、救助隊が到着をする前に、子どもは水没して姿が見えなくなり、翌日、下流から遺体が発見されました。

「生命の尊さ」という徳目からすると、川岸で見ていた千人の大人たちは何をしているのかって話です。しかし、「生命の尊さ」は自分の命も含まれるため、助けに行かなかったのは正しい。飛び込もうとした人を止めるのも正しい。

そんなもんなんです、現実の社会は。いくつもの条件が重なっていますから、ひとつの徳目だけを実行していれば済むってもんではなく、ある徳目を実践すると、別の徳目に反することが当たり前にあります。

この時に、果敢にも水に飛び込んで子どもを救出しようとして、そのまま子どもとともに溺れ死んだ人がいたとします。この行為はつねに実現できるものではないがゆえに崇高な行為として賞賛されていい。

自分の命を顧みなかったことは「生命の尊さ」という徳目に反してますけど、ここでは「困っている人がいたら自分のことを顧みないで助ける」という点が道徳的。

だからと言って、助けようとしなかった千人が非難されてはならんのです。もし道徳が「誰もがつねに守らなければならないもの」であるならば、全員が自分の命を顧みずに飛び込んで、泳げない人まで飛び込んで、全員溺死するのが正しいことになってしまいます。それをまた助けようとして、人が次々飛び込んで、この町は滅びましたとさ。

そんな道徳いらねえ。

東京書籍小学校一年生用「あたらしい道徳」

 

 

道徳は自ら実践するから尊い

 

vivanon_sentence道徳はそれに反した人を叩く根拠なのでなく、実現は難しくても、個々人が目指す指針です。それ以上のものではなく、そこに強制力があってはならない。強制力があるのは法律です。

道徳で人を断罪していいのは道徳社会です。宗教道徳で人を断罪していいのは宗教社会です。野蛮であります。

その野蛮さが残っているのが日本です。今まで何度も書いているように、売防法は道徳に基づいた法律です。法と道徳は切り分けなければならないですから、そんなもんいらんのです。と言っても理解できない人たちがゴロゴロいる。

不倫を禁じる姦通罪はとっくにないのに、他人の不倫を許せない人たちがゴロゴロいる。怒っていいのは婚姻というお約束を交わした配偶者のみ。もちろん、配偶者が怒らないのもまた自由。

「一般の人と違って政治家は国民の手本にならなければならないのだから、道徳的でなければならない」という意見もありましょうが、だったら、フランス人は反道徳的でありましょうか。そうであったとしても、それによって不都合が起きてましょうか。

「不倫はいけない」という道徳とともに、この国で強いのは、そこにもつながる「良妻賢母」という道徳です。それを個人が実践するのは自由。しかし、その道徳規範が強過ぎて、政治家になっても母をやってしまい、国民もそれを求めてしまいます。子どもの育児をしないで不倫するなんざ、下の下。今井絵理子は、げっげっげげげのげ。

良妻賢母の道徳、貞操の道徳は、男だけでなく、しばしば女たちが遵守しようとし、他者にも求める点が特色です。少なからぬ女たちがそうしているため、「男社会が女を虐げている」と見るとわかりにくいのですが、「道徳社会を女たちが維持している」と見るとわかりやすいかもしれない。道徳を維持したいなら、自分が実践すればいいだけですから、他者まで道徳に従わせようとするのは、「道徳社会」を維持しようとしているのです。

※東京書籍のビル。たまたま通りかかった時に「でけえなあ」と思って写真を撮ってました。東京都北区堀船にあります。

 

 

北野武著『新しい道徳』を推薦する

 

vivanon_sentence「道徳とは何か」を考える上で、北野武著『新しい道徳』は大変いい内容です。

この本についてはリテラのこの記事を参考のこと。この記事を読むと、あたかもこの本は安倍政権批判の書のようですが、もっと根源的な「道徳とは何か」という問いに答えようとしています。結果、道徳強化を狙う安倍政権に対する批判になっている点が多々ありますし、道徳が教科化される動きの中でこの本を出したのは(2015年9月の発行)、そういう意図が少なからずあったのだろうと想像することができますが。

 

 

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