エヤ・ガールは危険で薄給だった—女言葉の一世紀 87-(松沢呉一) -3,928文字-
「忘れられた元祖スチュワーデス「エヤ・ガール」—女言葉の一世紀 86」の続きです。
初のエヤ・ガールは東京航空輸送社
「東京航空輸送社」「東京航空輸送」で検索しましたが、国会図書館ではひとつもひっかからず。しかし、そう数多くはない航空会社がどこにも出ていないはずはなく、タイトル、目次に出ていないために検索にひっかからないだけでしょう。だから国会図書館は早く本文検索ができるようにすべきなのです。
飛行会館は、帝国飛行協会が運営しており、ここは出版物も発行。「国会図書館の野郎」と愚痴りながら、それらを飛ばし読みしたのですが、そこにも見つからず、逓信省航空局編『航空統計年報 昭和5・6年度』で、やっと東京航空輸送社を見つけました。
この頃、全国で定期の旅客便を出しているのは日本航空輸送です(京城・平城・大連・上海への便を含む)。ほとんどここの独占です。例外として東京・新潟間のみ運行しているのが朝日定期航空会。短距離の定期便を出しているのは、日本航空輸送研究所と東京航空輸送社の二社です。全部でこの四社のみ。
東京航空輸送社は前回出した地図にあるコースを運行していただけの遊覧飛行専門の会社でした。
おそらく『最新婦人職業案内』で、日本航空株式会社としていたのは、東京航空輸送社は一般には知られておらず、著者は飛行機会社の名前を日本航空輸送しか知らなかったため、てっきり同社だと勘違いしたのでしょう。
通常はリアルタイムに書かれたものの方が正確なものですが、インターネットのない時代に短時間で確認することは難しく、校正もいい加減です。電話一本入れればわかったわけですけどね。
この会社を認識していなかったのももっともではあって、業務開始は前年昭和五年の六月となっています。募集広告に、遊覧飛行を知らしめる効果があったと書かれていたのは、まだ業務を始めて間もない頃だったからであり、それこそ、周知させるための宣伝としての人員募集だったのかもしれない。
(残り 3255文字/全文: 4109文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ