「糞フェミは女子校出身が多い」説—勘で読んだ辛酸なめ子著『女子校育ち』(7)(最終回)- (松沢呉一) -3,518文字-
「安倍昭恵を見てなお別学教育を肯定できるか?—勘で読んだ辛酸なめ子著『女子校育ち』(6)」の続きです。
女子校はムラ化しやすい
以下が辛酸なめ子の見解。
男は野獣だと教え込まれた弊害は、意外に根深く、大人になっても治らない場合があるのが、男性への軽蔑心です。生徒と間違いを起こさないように、女子校には魅力の乏しい(キモい)男性が赴任されがちなのですが、そのせいで、男性は性欲まみれで頭が単純で気持ち悪くて知能的にも劣っているという女尊男卑思想が植え付けられてしまいます。
辛酸なめ子が出た女子校の同窓生が現にそうなった例を挙げていて、少数かもしれないけれど、そうなってしまうのは実際にいるみたい。
そこまでではないにしても、本書には女子校出身は視野が狭いという指摘をしている人が出てきます。家庭環境も学校環境も一律の考え方でなされていれば当然そうなりやすいでしょう。安倍昭恵がそうですね。
また、均質な層が集まっているため、「自分のことをわかってくれるはずだ」という思い込みが強いという話も出ています。安倍昭恵がそうですね。安倍昭恵の名前をだせば、女子校のネガティブな側面を一瞬にして理解させることができます。桜蔭高校を出せば女子校のポジティブな側面を一瞬にして理解させることができるのと好対照。
均質性の高い集団は黙っていても理解されることが期待できるムラです。反論も弁明もせず、祈っていれば自分や夫は理解してもらえると信じる安倍昭恵。理解できるか、ボケが。
学校の均質性を緩和させる場所として塾があって、そこで恋が生まれるって話も辛酸なめ子著『女子校育ち』には出てきますが、「塾に行く必要がない」と謳っている学校もあります。学内で完全にケアをするのだと。親としてもその方が安心です。塾の帰りが遅くなると、森でレイプされますから。
そうなるといよいよ狭いムラのやり方に染まります。染まった人たちは同じムラの住民に安心感を抱き、学校に郷愁を抱く。同窓会の強さがそれを物語ります。
※SSはお茶の水女子附属高校。女子校の多くはキリスト教系なのがまずいのかも。均質性や閉鎖性、選民意識が高まります。その点、公立の女子校はうまくバランスがとれそう。
別学の均質性は工場の均質性と同じ
辛酸なめ子著『女子校育ち』のおかげで、男女別学のいいところも悪いところもくっきり見えました。これを読んでなかったら、私もあやうく別学教育を全肯定してしまうところでした。肯定すべき点は肯定していいんですけど、否定的な側面をしっかり見ておかないと、いつまでも克服ができず、戦前回帰をしてしまいます。だって、戦前は全部別学ですぜ。
「別学教育で成績が上がる」というのは工場の発想です。機械は同じメーカーで揃えた方がコストが安く、トラブルが起きた時のケアがしやすく、製品も均質化する。
女子校出身者は女子校出身者がわかると言い、話が通じやすいと言いたがる理由は簡単です。自分に似ているから。それだけのことじゃないですか。
その分、異質な他者を認識し、それとうまくつきあうことはできにくくなりそうです。
社会に出たら今まで会ったことのない化け物、貧民、前科者、あばずれ、変態、外国人、エロライターなど、いろんな人とつきあわなければならないため、困惑します。男がいるってだけで困惑する。
もちろん、女に対する規範の強い社会と、弱い女子校との違いが困惑にもなるのでしょうが、むしろ一般社会より規範の強い女子校もある。その強さもまた社会に出ると困惑になる。その困惑に対して異質な存在がいなかった女子校の安穏とした空気が懐かしい。それが女子校出身者たちの郷愁であり、そこに意義を見出したがる特性になっているんじゃなかろうか。
※『女子校育ち』に出てきた学校を出しているだけで、普連土学園にはなんの恨みもなく、ここがどういう教育をしているのか知りません。
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