松沢呉一のビバノン・ライフ

国立の昔話—欲情部落を訪ねて[1]-[ビバノン循環湯 403] (松沢呉一) -3,159文字-

※七年前にメルマガに書いたものをのちに取材し直してどっかのムックに書いた。メルマガ用に撮った写真は見つかったのだが、ムック用に撮った写真が見つからず。書影も見つからず。出てきたら差し替えます。

 

 

 

「欲情部落」は国立市か?

 

vivanon_sentence原田重久著『欲情部落—-ある女町長の日記から』(朋文社/昭和三二年)という本がある。内容はほのぼのとしたユーモア小説で、おどろおどろしいものを期待していた私としては拍子抜けだ。しかし、今現在の価値観から見ると、十分に驚愕する内容かもしれない。

東京都下にある芋花村の村長だった父親の跡を継ぐため、都心で働いていた三二歳の独身である「甘栗ももよ」が幼い頃に住んでいたこの地に呼ばれて当選。ちょうどこの時、芋花村は芋花町になり、「町というより部落の寄り集まり」であるその地で甘栗町長が奮闘する日々を描いたものだ。

すべて創作だと思って読み始めたのだが、多摩川、秋川など実在する川が出てくる。さらに決定的なのは矢川だ。矢川は立川市から発して多摩川と合流するわずか一.三キロの川だ。この川は大半が現在の国立市を流れている。どうやら舞台は国立らしい。

著者の原田重久には『国立歳事記』(1969)『わが町国立』(1975)などの著書があり、市史編纂にも関わっていた。国立市は元・谷保村(現在は「やほ」だが、もとは「やぼ」と読む)。昭和二六年に国立町になっている。芋花のモデルは谷保村、そして国立町であることに間違いなさそうだ。

国立市がほんの半世紀ちょっと前まで村だったことに驚くが、いかに小説とは言え、それが国立が舞台だとなると、その内容にも驚く。文化的イメージのある国立だが、ここで描かれているのは純朴ではあれ、文化的という言葉とはほど遠い野卑な人々の性行動とそこから引き起こされる「事件」の数々である。

※JR国立駅前。Googleストリートビューより

 

 

住民たちの性行動と風習

 

vivanon_sentence甘栗町長のことを男たちが噂をし、「誰が最初に夜這いをかけるか」を話すところからこの本は始まり、「名にし負う色好みの町である」と「まえがき」はまとめられている。

続く第一章に出てくるのは、仁太とおけいの夫婦の話。男好きするおけいには、独身の時から数々の男たちが夜這いをかけていた。男たちが鉢合わせをすることがあるため、話し合いをして、六人に曜日を振り分ける協定を結んだ。日曜日は休みである。

ところが、仁太は週に一度では我慢できずに協定破りをするようになり、その強引さが気に入って、おけいは粗忽者の仁太と結婚する。いざ結婚したら、おけいは仁太を敬遠し、仁太は家を追い出され、納屋で暮らすことになって町長に相談にやってくる。こんな相談事も聞くのが町長の仕事だ。

これがその地の典型的な男女関係とまでは言えなくても、こういった関係がおおっぴらになされていたのが芋花町である。一人の女を取り合って闘鶏で勝負する男たちもいれば、婚家に来た花嫁が門に入る時は、裾を持ち上げて、周りが「見えたぞ見えたぞ」と囃し立てる風習もある。

創作にしては妙にリアルで、まったくの嘘というわけではないのではないか。

その答えはあとがきにあった。ここに出てくるエピソードはありのままに書いたものだという。当時の国立町長は男なので、「甘栗ももよ」は架空の存在だが、すぺての登場人物にはモデルがいると書いている。誇張や脚色があるにしても国立町は、こういったことが起きるような場所だったらしい。

※一橋大学。Googleストリートビューより

 

 

欲情部落へ

 

vivanon_sentenceでは、「欲情部落」に行ってみることにしよう。

 

 

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