松沢呉一のビバノン・ライフ

事前説明が無効であることを明らかにした事例—京都造形大学に対する訴訟[5]-(松沢呉一)

「学生」の範囲さえ決めておけば避けられたはず—京都造形大学に対する訴訟[4]」の続きです。

 

 

 

事前説明を義務づけることの問題点

 

vivanon_sentenceこれもナディーン・ストロッセンが書いていたと思いますが、不快に感じる生徒がいこうを想定して、事前に告知をする対策が取られるようになっています。「来週はこれこれこういう内容をやるので、耐えられない人は出席しないように」と告知をし、その授業に欠席しても、そのことで不利益を受けないというルールです。日本でも実践している学校なり学部なりはあるでしょうし、実践している個人もいるでしょう。

しかし、この方法はいくつかの問題点を含みます。

第一に、「どこまで伝えることが可能か」という問題点。「この図版を来週は見せます」とやったら、この時点で事前告知がセクハラとされますから、アバウトに伝えるしかない。そうなると、「事前告知が不充分で、私は下ネタを見せられて苦痛だった。セクハラだ」と言い出すのが出てきてしまう。

第二に、授業であれ、講演であれ、事前にすべてを決め込んでいるわけではないって点。すべて決め込んで、その通りにやる人もいましょうけど、生徒や観客の反応を見て、内容を変える人にとっては、予定外の話ができなくなります。ヒトラーの演説も客の反応で臨機応変に内容を変えました。そういった細かな配慮があったから、ドイツ人は熱狂したのです。どうしてもヒトラーに話をつなげたくなってすいません。

また、予測不能の内容になることを避けると、生徒や観客からの質問や要望を受けられなくなります。質問は受け付けないのが安全策になってしまう。

第三に、学生が欠席したことによる不利益を受けないとした場合、必須の知識が欠落のあるまま卒業することになる点です。公開講座の類いだったら出なければ済むのですが、学生だと困ったことになります。必須である知識とは何なのかという議論はあるにせよ、必要であるからこそ取り上げるわけで、その知識や技術がないまま専門の職業に就くこともあるでしょう。

フレッチャー論争のように、残虐な事件について見たくない、考えたくない、知りたくないという生徒のために、大学ではそういう授業を回避できる配慮をするしたとして、この生徒が新聞社やテレビ局に入って、そういった事件を担当させられそうになったら、「セクハラです」と言い出します。弁護士だったら事件を選べるからいいとして、警察官や検察官になって、そういう事件を担当させられそうになったら、「セクハラです」と言い出します。それでいいのか?

以上のことから、事前説明は、おかしなセクハラの定義ができてしまったことに対する対処療法でしかなくて、完全な方法ではない上に、これによる支障が消じてしまう。これでは他の生徒に不利益をもたらしかねない。

三点目はどうやっても解決できないですが、一点目、二点目については、大きな枠組みで説明するしかなくて、それで十分とするしかないでしょう。たとえば「来週はエロチックなものを取り上げます」「来週はチンコマンコの話をします」など。

※会田誠著『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか

 

これで事前説明は事足りる

 

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今回の例で言えば、会田誠や鷹野隆大が講師であることは告知されていたのですから、さんざん言われているように、「講師がどんな人であるかくらい事前に調べろ」って話です。検索一発でわかることです。

 

 

改めて調べなくても、ポルノを取り上げることは事前に説明しています。

 

 

 

この講座全体の説明を含めて、上に書いたような「大きく枠組みの説明」はクリアされています。しかし、おそらく原告はこれさえも読んでいないのだと思います。

今回の騒動を受けて、それでも「説明が足りなかった」と言っている人たちがいますが、この程度も読まない人、読めない人に、いったいどんな説明をすればいいのですか。講義内容を一万字使っても説明しても読まないのですよ。丁寧に説明すればするほど読まない人は存在します。調べること、考えることを放棄した人にはどんな説明をしても無駄なのです。

 

 

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