松沢呉一のビバノン・ライフ

インゲ・ショル著『白バラは散らず』が決定した流れ—バラの色は白だけではない[9]-(松沢呉一)

ショル兄妹の人気の秘訣—バラの色は白だけではない[8]」の続きです。

 

 

 

『白バラは散らず』が見せなかった白バラの全体像

 

vivanon_sentenceインゲ・ショル著『白バラは散らず』は青少年向けに、事件のあらましを簡単に述べたものであり、本文は110ページ程度しかない。あとはビラの再録と訳者の解説を加えた薄い本です。

その少ないページ数で全体を、あるいは細部を説明するのは困難だった上に、戦後も抵抗運動をした人々を「国家の裏切り者」と攻撃する人たちがいた中で、登場人物を極力少なくしたのだろうと私は推測してました。この本で名前が出てくるのは、処刑された6人とその家族、ハンスとゾフィーと同房になった人たちくらいで、あとは出てきても名前は伏せられているのです。

この本が戦争のあと、一般向けに初めて白バラについて説明をし、世界的なベストセラーになり、これ以降、インゲ・ショルはハンスとゾフィーの手紙や日記をまとめた本を何冊か出していて、これでショル兄妹の存在が肯定的に浸透し、他の4人も認知されました。

しかし、それ以外にも白バラのメンバーは多数いたこと、その中には追って処刑された人もいたこと、刑務所や収容所で亡くなった人々がいたことが忘れられてしまった、というより最初から認識もされなかったのではないか。

何事もこんなもんではあるのですが、この場合、少なからず問題を生じさせてしまったように私は感じています。ハンスとゾフィーの行動は彼らだけに留まらず、多数の犠牲者を出したことが見えなくなってしまってます。

6人については死ぬ覚悟もしていたでしょうけど、彼らからビラを見せられただけで逮捕された人たち、彼らと交流があっただけで逮捕された人たちが多数いて、その中にはユダヤ人ということで強制収容所に送られて亡くなった人もいます。逮捕者の中には彼らの行動に対して警告をしていた人たちもいます。それでもハンスとゾフィーは耳を貸しませんでした。

そのことを踏まえて彼らの行動は判断されるべきです。私自身、彼らの行動をどう評価するのかは結論を出せていない。ずっと考えるしかない。

それを考える機会がないまま、ハンスとゾフィーの行動が礼讃され、聖人、英雄扱いされてしまうことに、私は「なんだかなあ」を感じるのです。これはキリスト教団体だけではなくて、彼らを無条件に礼讃してしまう人たちすべてに言えることです。

聖人、英雄になってしまったがために、美化できる部分だけを美化して、都合が悪い部分は見ない。これによってハンスとゾフィーの背景にあったものさえ覆い隠されてしまいました。

戦後になっても「複雑な問題に簡単な答えを求める人間」を克服できていないのです。つうか、いつになっても克服することは難しいのでしょう。そこに乗っかるのではなく、見えなくされたものを明るみに出すのが私の役割です。

※たぶんこれが最初のドイツ版

 

 

アジトとなったアトリエをめぐる人々

 

vivanon_sentence簡素にまとめられたものだけにインゲ・ショル著『白バラは散らず』を読んでいると気になることが次々と出てきて、付箋だらけになりました。その例を挙げておきます。

白バラ・グループが会議をしたり、ビラの制作作業をやったりしていた「アトリエの地下室」というのが出てきます。控えめながら、珍しくこのアトリエの所有者は名前の記載があります(借りていた物件なので、正確には占有者です)。アイケマイヤーという画家がハンスらと親しくしていて、出征することになって、その場所をハンスらに貸したということになってます。

「この場所を貸していたアイケマイヤーはどうなったんだろう。処刑されたんだろうか」と気になって調べたのですが、相当に複雑でした。

アイケマイヤーのフルネムームはマンフレート・アイケマイヤー(Manfred Eickemeyer)です。この人は建築家です。彫刻家だったこともあるので、裁判でも、建築家および芸術家(artist)とされている箇所があるのですが、画家ではありません。

白バラは散らず』で、「銀髪の学者」として登場する人物がいます。ここは名前がなく、ヨーゼフ・フルトマイヤー(Josef Furtmeier)か、アルフレート・フォン・マルティン(Alfred von Martin)か、どちらかのことだと思われます。おそらくはヨーゼフ・フルトマイヤーでしょう。

ヨーゼフ・フルトマイヤーは、50代にしてほとんど引退をしていて、ハンスは何かの使いでこの人の家を訪れたのをきっかけに仲良くなり、ハンスとゾフィーはたびたびこの人の家を訪れて、ここでさまざまな人と出会っています。フルトマイヤーの紹介でアルフレート・フォン・マルティンとも知り合っています。アルフレート・フォン・マルティンは社会学者で、著書も多数あって、今なお買えます。

フルトマイヤーの紹介で、ハンスは建築家のマンフレート・アイケマイヤーと知り合っています。ハンスは、ショル家とつきあいがあったヴィルヘルム・ガイヤー(Wilhelm Geyer)という画家をアイケマイヤーに紹介しています。画家はこの人です。

 

 

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