美しきサディスト? イルマ・グレーゼ—収容所内の愛と性[3]-(松沢呉一)
「レズビアンの看守/アンネリーゼ・コールマン—収容所内の愛と性[2]」の続きです。
アウシュヴィッツのハイエナ
アンネリーゼ・コールマンが肉体関係があったと証言した女の看守は二名います。
一人は女の看守の中ではもっとも有名な存在と言ってよさそうです。「美しき野獣(the Beautiful Beast)」または「アウシュヴィッツのハイエナ(die Hyänevon Auschwitz)」と評されたイルマ・グレーゼ(Irma Ida Ilse Grese)です(「the Beautiful Beast」は裁判になってから英語圏でマスコミがつけたもの。「die Hyänevon Auschwitz」は収容所での呼び名)。
彼女は戦争が終わったら女優になると言っていたそうで、たしかに驚くほどの美人です。ただ、全身を見ると、あまりスタイルはよくない。
その美貌も、その残忍さも抜きん出ていて、映画や小説に登場する残忍な美人看守はだいたい彼女をモデルにしているか、少なくともインスバイアされたものでしょう。そういった創作物を見るだけだと、「ウソ臭い」と思ってしまいますが、こういう人が実在していたのです。ただ、「残虐な女看守」という話はどこまで本当なのか判断がつかないところがあるので要注意です。
ヨーゼフ・メンゲレの愛人だったイルマ・グレーゼ
彼女は1923年生まれ。父親の不倫を知った母親は自殺しており、幼い頃からいじめられた経験があります。ドイツ女子同盟に所属して忠実なナチス信奉者となり、親衛隊の看護婦から親衛隊補助員となり、1942年、19歳で自ら志願してラーベンスブリュック強制収容所に。
父親は彼女が収容所で働くことに反対していて、1943年を最後に家には近寄りませんでした。この年、アウシュヴィッツ強制収容所へ。
1945年3月、ベルゲン・ベルゼン強制収容所に行き、ここで逮捕されています。しかし、埋葬作業の中に彼女の姿が見えません。たまたま写真に入っていないだけかもしれないですが、いたらジョージ・ロジャーが撮らないはずがなく、この作業を拒否したのかもしれない。
彼女は若くして看守の主任となるのですが、看守の中でももっとも残忍と言われました。と複数の生き残りの収容者が証言しており、性的なサディストだったのではないかと言われます。しかし、これは怪しいのです。
こちらに裁判での答弁が出ていますが、収容者に対して厳しかったことや一部の暴行、鞭を使用していたことを認めながらも、そのような証言のほとんどを否定。それらの証言の多くは伝聞に過ぎず、今現在の感覚で言えば、死刑にすべき根拠はゼロと言ってもいいのではなかろうか。一部の暴行について軽い処罰があっていいとして。
飢えた犬を女の収容者にけしかける虐待を繰り返したとされていますが、これも完全否定。看守が連れている犬は各自で飼っていたもののようで、イルマ・グレーゼは犬を飼っていないと証言していて、このことは次回出てくるエリザベート・フォルケンラートも証言しています。飼っていたのはユアナ・ボルマン(Juana Bormann)だったと。これはユアナ・ボルマン自身も認めています。
なお、ヘスの娘であるブリジットは、子どもの頃にアウシュヴィッツ収容所に入って、警備用の犬と遊んでいたそうです。だからと言って、ヘスの娘に何か責任が生ずるわけではないですけど。
ナチスでは人の皮膚を使ったランプシェイドを作っていたことが知られ、イルマ・グレーゼはランプシェイドを三点所有していたとされてます。しかし、このランプシェイドの話がまた相当に怪しくて、彼女が所有していた証拠は何もなく、人の革でできたランプシェイドの話自体がすべてデマだった可能性もあります。これも先々見て行きます。
彼女はアウシュヴィッツの建設部長フランツ・ハツィンガー(Franz Wolfgang Hatzinger)の恋人だったのですが、医師のヨーゼフ・メンゲレの愛人だったことを筆頭に、数多くの相手とのセックスを繰り返し、相手には同性も複数いて、その一人がアンネリーゼ・コールマンでした。コールマンとは最後の最後でベルゲン・ベルゼン強制収容所で一緒だっただけのはずです。コールマンがベルゲン・ベルゼンにいたのは長くても3週間程度です。コールマンにも女の恋人がいたわけですけど、知り合って間もなく「一回ヤっとく?」って感じだったのでしょうか。
この性行動はコールマンの証言もあるように、おそらく本当でしょうが、コールマン自身がヤリマンだったように、とくにイルマ・グレーゼに限らないことであり、当時のナチスに限らないことです。今の日本でも、閉鎖的集団では、あっちとヤって、こっちとヤっていうことが起きやすい。
メンゲレの愛人だったというだけでも印象は悪いわけですが、それとこれとは話が別であり、そのメンゲレは南米に逃げて捕まらないまま死去したのに対して、彼女は処刑されました。
なお、フランツ・ハツィンガーは敗戦直前に腸チフスで亡くなっています。
※おそらくこの写真は裁判に出廷した時のもの。その後ろの人は銭湯の帰りか?
追記:この日、頭にタオルを巻いていたのは2名います。シャルロッテ・クライン(Charlotte Klein)とフリーダ・ヴァルター(Frieda Walter)です。身長から考えて、この写真はシャルロッテ・クラインか。このタオルについては「法廷のタオルと白バラの髪型—収容所内の愛と性[28]」参照のこと。
」
収容者は丸坊主にして、女の看守は美容院へ
この人の怖さは逮捕された時の写真によく出ています。
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