松沢呉一のビバノン・ライフ

母性はホロコースト関与を否定する根拠になりえない—ジャパニーズ・サフラジェットとナチスと包茎と田嶋陽子[11]-(松沢呉一)

犠牲者化の始まりと完成—ジャパニーズ・サフラジェットとナチスと包茎と田嶋陽子[10]」の続きです。

 

 

 

母性があっても子どもを殺せる

 

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前回見たような「女の犠牲者化」に対して「んなわけない」というのがヒトラーの娘たち』の姿勢であり、その具体例を挙げていき、なぜそんなことができたのか、なぜその部分が見えなくされてしまったのかを論じていきます。

ウェンディ・ロワーはこう書いています。

 

 

なぜ女性にこのような行為が可能だったのか。一見して母性に満ち、思いやりのある人物が、今しがた優しく慰めていたかと思えば次の瞬間には相手を傷つけ、殺しさえする。ホロコーストの中の女性に関する事実には、かつても、今も、最も困惑させられる。にもかかわらず、このような行動は、共犯者や加害者であった看護師、母親、そして妻によく認められる。

暴力は女性本来のものではない、女性には大量殺人はできないという思い込みには明らかに魅力がある。そう考えれば、少なくとも人類の半数は他者を滅ぼすことはなく、子どもたちは守られ、それゆえ未来は守られるというあ希望が持てるのだ。しかし、女性の暴力行動を矮小化すると、ジェノサイドとその居心地の悪い現実に対して立ち向かう武器があるという幻想を生むことになる。

 

 

最後の一文がわかりにくいかもしれないですが、意味のない期待をすることになるってことでしょう。

有効な手だてをとらないまま、「女が政治をやると平和になる」といった空疎な愚論を掲げるのがその一例です。そんなことはあり得ないのだから、女たちも男と同様に、政治家になるべく学歴、職歴、意識等を整える環境が求められているし、有権者はそこを見るべきなのに、そういう発想に向かわないのは、「女幻想」が妨害しているからだろうと私にも思えます。「安直なクオータ制よりまずは女の政治家が増える環境作りを」って当たり前の発想にならない限り、男女格差はなくなるはずがない。

著者は自分を納得させるように、男女の違い、あるいは共通点について生物学的、心理学的な諸説を紹介しつつ、なぜナチスドイツにおいて、女たちはそれらの行動が可能だったのかを解析しようと試みています。

しかし、あまりその論考には意味があるとは思えず。その率に違いがあるのだとしても、あるいは出方が違うにしても、男であれ女であれ、このようなことができてしまうのがいるとの事実を直視すれば十分かと思います。ナチスはその性質が発現しやすい体制であっただけです。体制次第、環境次第で男であれ女であれそうなるのがいることから目を逸らしてはならない。

「女には生まれついての母性があり、命を粗末にはしない」なんて思い込みは捨てた方がいい。エルナ・ペトリが逃亡してきたユダヤ人の子どもらに食事を与えたのは母親らしい母性によるものだったかもしれない。しかし、その直後に泣く子どもらを全員射殺しました。

母性と殺害はこうも鮮やかに両立するのですから、母性の強調は無垢・無罪であることの根拠にはならない。当たり前ですが、当たり前のことが時に通じなくなります。

※「The Black Book of Poland」(1942)より

 

 

犠牲者化はホロコーストの矮小化を招いた

 

vivanon_sentence現実に、ドイツにおいてはこのようなことになりました。

 

 

これら占領地にいた妻たちに関する戦中と戦後の記録は、あちこちの文書館や個人所有の文書に散見される。おもにドイツ人、ウクライナ人、ポーランド人およびユダヤ人目撃者の証言を通じて、私たちはこうした女性の存在と暴力について知ることができた。殺人、戦争。ジェノサイドを男性の行為と考えることに慣れてしまっている私たちは、そうでないことを示す証拠が手に入らなければ、女性がどの程度関与していたのかわからないままである。ドイツ人女性の手により、ホロコーストの犠牲者が侮辱、剥奪、苦痛を体験し、そして殺されることすらあったことは知られているが、多くの人が歴史的にも不正確で偏ったジェノサイド概念に依拠することにより、この事実を矮小化している。

 

 

この事実はホロコーストに関わった人々を見逃しただけでは済まない結果をもたらしています。

 

 

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