松沢呉一のビバノン・ライフ

フリッツ・ハーバーの講演から—祖国に裏切られたユダヤ人化学者[4](最終回)-(松沢呉一)

死をもって毒ガス兵器に抗議したクララ・イマーヴァール—祖国に裏切られたユダヤ人化学者[3]」の続きです。

 

 

ノーベル賞とユダヤ人

 

vivanon_sentence大澤武男著『ユダヤ人 最後の楽園』によると、当時のドイツにいたユダヤ人たちにはゲーテが好きな人が多く、ゲーテ研究家はユダヤ人だらけ。これはゲーテの中にあるコスモポリタンな姿勢や、その作品に表現された個人の自由と知性の希求がユダヤ人の心性と重なるとともに、ドイツ的なものに同化しようとする作用とが重なったものだと著者は言います。

この同化部分のひとつの表れがユダヤ人の愛国者です。どこに数字が出ていたかわからなくなりましたが、第一次世界大戦で志願した数も、戦死した数も、ユダヤ系ドイツ人はドイツ人平均より多かったはずです。迫害から逃れるための手段として愛国者になる。しかし、手段として意識されるとは限らず、生きていくために自然とそうなるのだろうと想像します。内面化です。

また、愛国者とは限らないですが、科学、芸術、ジャーナリズム方面で活躍したユダヤ系ドイツ人は途方もなく多く、大澤武男著『ユダヤ人 最後の楽園』には第一回目のノーベル賞である1900年からナチス政権樹立前の1932年までにノーベル賞を受賞したドイツ人の数が出ています。165名の受賞者(団体を含む)のうち33名がドイツ人で、国別でドイツが1位です。うち11名がユダヤ人です。人口の1パーセントだったユダヤ人がいかに活躍をしてきたか、そしていかに国に貢献してきたのかがわかります。

同時に、この数字は意外なことを語っています。ノーベル賞全体で、受賞したユダヤ人は20名。うち11名はユダヤ系ドイツ人ですから、ドイツが飛び抜けているのです。とくにヴァイマル期に多く、物理学賞の5名のうち3名がユダヤ人、生理学医学賞の2名はいずれもユダヤ人です。

ドイツではユダヤ人に対する悪い感情が以前からありつつ、実力があれば頭角を現すことができる国でもありました。とくにヴァイマル時代。

ユダヤ人は頼るべきものがない分、子どもに高い教育を受けさせる傾向があったこととドイツの政策が合致していたということもありそうです。

※大澤武男著『ユダヤ人 最後の楽園』に教えられたことは多くて、この本の主題である「ヴァイマル時代にユダヤ人はどう生きたか」という点だけじゃなく、ナチスが台頭してきた時に、ユダヤ人はどうしたのかについて、今まであまり考えたことのなかった面について知ることができました。ユダヤ人はナチスの前にただ逃げるか殺されるかだったとのイメージが私の中にはあったのですが、彼らは果敢に抵抗をしています。ナチスが政権をとってからユダヤ人の抵抗運動は完全に潰されるため、抵抗運動はもっぱら非ユダヤ人によるものがクローズアップされるのはやむを得ないところもあるのですが、白バラ抵抗運動が礼讃されるのに、ショル兄妹の行為によって殺されたユダヤ人プロテスターたちの存在は無視されていることに通じて、ユダヤ人たちをナチスと闘った抵抗の主体としてとらえたくない人々がいるのかもしれない。ヴァイマル末期の抵抗をもっと知りたくなってます。また泥沼に入っていきそう。

 

 

教育を重んじるドイツ

 

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前は目次しか見てなかった『ハーバー博士講演集 : 国家と学術の研究』(昭和6年)を読んだら、フリッツ・ハーバーは繰り返しドイツ人に天才が多いのではないのだと強調していて、ドイツから次々と勝れた科学者が出てくるのは制度、とくに教育によるものだとしています。そうはっきり言っているのではないですが、ドイツ民族が優秀なわけではないってことです。ドイツ民族ではないハーバーとしては当然の視点です。

これはしばしばユダヤ人についてユダヤ人が言うセリフでもあります。ユダヤ人は商売がうまい、ユダヤ人は芸術家が多いといった指摘に対して、そうではなく、そうするしかなかったのだとの説明とリンクをしていながら、フリッツ・ハーバーはあくまでドイツ人について語っています。

この本には日本での講演を含めて、さまざまな場所での講演が収録されているのですが、日本からドイツに戻ってからの講演では日本での見聞とそこからの展望を論じています。

当時ドイツでは「支那か日本か、どちらにつくか」という議論があり、「支那につくべし」という意見を批判して、フリッツ・ハーバーは「日本につくべし」という論を展開しています。

日本の製品の質が悪いという批判に対しては、「メイド・イン・ヂャーマニー」が低級品の標語だった時代のドイツを、自身の目で見た日本に見出していて、工場を実地に見学して、真似事だとしても機械はヨーロッパと同じようなものを作れるようになっていながら、メイド・イン・ジャパンは、その精度の低さ、能率の悪さが原因であることを指摘し、人材を養成する制度が必要だとしています。

そこを改善すれば、手先が器用で、美的センスに秀でた日本人には可能性がある。その可能性を活かすには、技術だけ入れても解決はせず、「是は実に教育といふ大問題の解決に依ってのみ達成さるるものである」と言っています(この引用文は同趣旨のことを語った日本での講演からです)。

この場合は、具体的には知識と技術を結ぶ中間の存在を育成することを指しています。学者が見出した知恵を現場の職工に活かす技術者の存在です。

ドイツは国土が狭く、第一次産業も弱く、それをカバーするのは教育であるという考え方が強いことは、付録として掲載されている本書の訳者である田丸節郎による「日本に於ける学術研究の振興」で解説されている敗戦後のドイツの姿勢で裏づけられます(田丸節郎はドイツに留学してハーバーのもとで学んだ化学者で、日本での講演にも同行)。

ドイツの科学や技術が発展したのは、資源がない中で代用品を作るしかなかったためで(それでも天然のものにはかなわないから戦争に負けたとフリッツ・ハーバーは言ってます)、敗戦と不況で財源がなく、国民が困窮する中でも、教育を拡充させていて、これに対しては誰も反対しない。むしろ教育が足りなかったからこうなったのだと発想するのです。

このドイツが生み出した叡智をナチスは次から次と国外に追いやったわけですが。

 

 

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