松沢呉一のビバノン・ライフ

インフルエンザウイルスを発見した日本人たち—スペイン風邪流行時に存在していたインフルエンザワクチン[中]-(松沢呉一)

インフルエンザ菌とは何か—スペイン風邪流行時に存在していたインフルエンザワクチン[上]」の続きです。

 

 

 

少なくとも500万人に接種されたインフルエンザワクチン

 

vivanon_sentence前回取り上げた山内一也「インフルエンザウイルスを最初に発見した日本人科学者」は知られざるインフルエンザ史を教えてくれますので、読んでいない方はぜひお読み下さい。

同記事によると、当時、日本の細菌研究をリードしていた北里研究所パイフェル氏菌(この文章では「プファイフェル氏菌」と表記。こちらの方がドイツ語の発音に近いですが、ここでは「パイフェル」で統一します)原因説をとっていて、北里研究所と双璧をなす東京帝国大学附属伝染病研究所はパイフェル氏菌、肺炎双球菌のどちらとも決めかね、両方の菌に対する混合ワクチンを製造。北里研究所のワクチンは248万人分、伝染病研究所のワクチン249万人分が接種されたそうです。

インフルエンザワクチン開発の歴史に書かれた数字と桁が違いますが、おそらく学校で集団接種したのでしょうから、数百万という単位になりそうです。ワクチンを接種した人の中からも感染者が続々出たはずですから、どうして早い段階でストップしなかったのかが不思議です。

なおかつ、どうして医学史、細菌学史に残る発見になったはずの山内・坂上・岩島論文は無視されたのか。

これを調べるきっかけになった1920年(大正9年)4月5日発行「醫學中央雜誌323号掲載の佐々木秀一「流行性感冒の原因及び療法に就てにあったように、サンプルは軽微な発症でしかなかったために、「あれは違うだろ」ということで見過ごされたのかもしれないですが、おそらくその見過ごしには別の要因が関わっています。

結果として、インフルエンザには直接の効果はなかったわけですが、両研究所にとってはどっちでもないということになると立場がないし、当然ワクチンの売り上げが入ってこなくなるため、山内論文は無視するしかなかったであろうことは容易に想像できます。

そのことは「インフルエンザウイルスを最初に発見した日本人科学者」で引用されている「読売新聞」大正8年(1919)4月1日号の記述が示唆しています。

 

 

元来なれば我が国に於て発表さるべきであるが、其の研究の方法は学術上の自由さへ許されぬ国状にあっては、ある一点から非常なる非難を受くべきことを慮んばかって右の方法に依ったといふ

 

 

「ある一点」というのが何を指しているのかわからず、その方法が人体実験に近いことを指すのかもしれないですが、この非難の背景に北里研究所と伝染病研究所がワクチンを製造していることがありそうです。そのためなのか、論文を国内では発表することさえできませんでした。

しかし、開業医である佐々木秀一にとってはあまり関係のない話なので、「流行性感冒の原因及び療法に就て」では、山内保説をトップにもってきたのだろうと思います。

 

 

世界初の発見者たちは何者か

 

vivanon_sentenceインフルエンザウイルスを最初に発見した日本人科学者で血が騒ぐような感覚になったのは、世紀の発見をしたかもしれない3名がいずれも日本の医学界に名を残していない点にあります。彼らはいったい誰なのかの謎解きが残ります。

この謎解きについては原文を読んでいただいた方がいいのですが、あそこに書かれていないことを補足しておくと、坂上弘蔵は、1912年に「臺灣南部に産する蝎調査に就て」という論文を書いています(同年9月15日発行「動物学雑誌」による)。薬学の見地からサソリ毒を調べた可能性もありますが、おそらく当初は昆虫学が専門だったのでしょう。

そこから星製薬に入り、インフルエンザの研究をし、そのあと京大帝国大学で医学博士号を取得しています(1923年05月25日発行「官報」による)。

岩島十三の名前は官報にも出てこず。医学博士ということですが、国内で博士号を取得したのではないのかも。

またまた星製薬が登場です。彼らの研究は星製薬細菌部でなされたことはほぼ確定。坂上弘蔵は細菌部の主任であり、この細菌部は日本で最初にワクチン製造所として認可されています(京谷大助著『星一とヘンリー・フォード』による)。

この研究成果は星製薬にとっては画期的なものであり、ここからワクチンを製造できれば莫大な金が入ってきて、世界的な栄誉ともなったはずなのですが、不幸なことに、星製薬はすでにインフルエンザ菌ワクチンを製造していました。

 

 

 

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