ワクチンの効果は護符と同じ—スペイン風邪流行時に存在していたインフルエンザワクチン[下]-(松沢呉一)
「インフルエンザウイルスを発見した日本人たち—スペイン風邪流行時に存在していたインフルエンザワクチン[中]」の続きです。
ワクチンは有効だったのか?
さて、ここまで書いてきて、どうしてもひっかかることがあります。
インフルエンザワクチン、実体はパイフェル氏菌ワクチンは効いたのかどうかです。
国会図書館で調べても、このワクチンに触れたものは少ないのですが、以下はわずかに見つかった例です。
また、此の対抗力振作を諮るについて、二つの方法がある。即ち反抗を主とするものと、順応を旨とするものとであるが、反抗を主とするものは、吾々人間お互ひの力を強健にして、病魔が侵入する隙の無い様にする方法で、順応を旨とするものは、病毒其のものに人為的加工をして、これを吾々人間の体内に進んで誘ひ入れることで謂はば病毒と一種の妥協生活に入るのである。最近最も猛烈を極めた流行感冒に於けるワクチン注射なるものは即ち此の後者の方法なのである。
併しながら、同じワクチン注射でも、彼の種痘の如く、病原と其の扱ひ方が確かに知れて居るものもあるが、また、流行性感冒の如く、金を取って之れを行って居る医者でさへも、半信半疑「どんなものやら」の中ぶらりんに迷って居るものもある。しかしお互い人間は死ぬのが厭である。死にたくはない。死ぬのはつまらないがために、其の中ぶらりんでゐるワクチン注射を痛い思ひを我慢してやって貰ふのである。かう云ふ中ぶらりんのワクチン注射を受けるものは、火災除けや盗難除けのり護符を金で買って、門口に貼って置く位の心懸で居る外は無い。
——三四郎著『皮肉社会見物』(大正9年)
私の言っていることに限りなく近い。
不安や恐怖に襲われると、効果がわからなくても人はすがるし、金も出す。何もしないでいることよりも、無駄だと思っても、何かをしたくなるし、政府や病院など権威のある存在に何かをして欲しがり、自分らに何かをさせて欲しがる。
今で言えば、スペイン方式は別として、マスクは護符と同じ。護符を貼っていないと逮捕されたり、リンチされたりするのが今の時代。
それがこの時はワクチンだったのです。医者も半信半疑だった代物のようです。半信半疑でも金になればワクチンを注射するってわけです。
山内一也氏も「インフルエンザウイルスを最初に発見した日本人科学者」は、数百万人に接種をしたインフルエンザ菌ワクチンについて「流行が終息したのち内務省衛生局の最終的見解は、ワクチンに効果はなかったというものだった」と書いています。
しかし、インフルエンザウイルスには効くはずがないとして、二次感染(の一部)を予防することはできたのでは? パイフェル氏菌の感染による死亡については、です。
それが3パーセントなのか、10パーセントなのかわからないですが、千人死ぬところで、そのうちの30人死ななくて済んだのだとしても無駄ではないと言えるでしょう。これがあったから、多数の予防接種を続けたのではないか。それなしでやっていたらあまりに北里研究所も伝染病研究所も内務省も無能です(当時、医療や衛生関係は内務省の管轄)。
二次感染のワクチンに効果はなさそう
もし少しでも効果があったのだとすると、COVID-19は抑えられなくても、今も二次感染を防いで肺炎になって死ぬことを防ぐことはできるのではないか。そう思って検索してみました。
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