松沢呉一のビバノン・ライフ

マスクに見る日本的ファシズム—マスク・ファシズム[15]-(松沢呉一)

マスクに予防効果を求めている人はほとんどいないことを明らかにした同志社大の調査—マスク・ファシズム[14]」の続きです。

 

 

 

尾を引く同志社大学の調査

 

vivanon_sentence前回取り上げた同志社大学の調査結果は、「こんなもんだろ、日本人」と受け入れられるのですが、「日本人の多数派は周りに合わせることを優先し、個人で考え、個人で判断して行動する人は少ない」ってことをああもはっきりとさせられると、納得できるだけに憂鬱になります。

あのまとめにあったように、正攻法で「この行動が感染リスクを削減します」と強調するだけでは不十分であり、そういった空気を作り出して、根拠ある判断などないままに従わせることの方が早くて確実なのです。

もし本気で感染対策をするんだったら、N95か防塵マスクを使うでしょう。その上、フェイスシールドもします。いつ感染してもいいと覚悟している私だって、必要な場面ではフェイスシールドやN95マスクを導入しているんですから。

同じく介護施設ではそれらのマスクとフェイスシールドを使うでしょうし、利用者にも義務づけるでしょう。老人や病人はマスクが辛い人がいるので、フェイスシールドだけでもいい。フェイスシールドは呼吸が苦しくなったりしないので、使い途は多いのです。

しかし、現実にはそこまで徹底した対策を講じている施設は少ないと見られ、その後も介護施設でのクラスターが全国各地で発生しています。コロナ騒動が起きて半年経つのに、まだ対策ができていないってどういうことか。病院や介護施設での感染対策にもっとも力を入れるべきなのに。

実効性のある対策が二の次になるのは「右ならえ体質」と無関係ではないと思います。周りがやらないと、あるいは誰かが命じないとやらない。介護施設は、他の施設がやらないと、あるいは保健所の指導がないとやらない。保健所は、他の保健所がやらないと、あるいは厚労省からの命令がないとやらない。

自分ではできないので、より強い権力に「わしらに命じてくだせえ」ということになります。

これが日本的ファシズムの正体です。下からのファシズム。

※2020年8月14日付「東京新聞

 

 

日本的ファシズムに加担しないために

 

vivanon_sentenceたとえば「マスクよりフェイスシールドの方が有効」となった場合に、いくら大学の研究室が時間をかけて実験をして、その数値を出したところでなかなか広がらず、それよりも電通に依頼して、東京駅、銀座、上野、池袋、新宿、渋谷あたりの拠点地域で、フェイスシールドをつけたバイトを老若男女を取り揃えて歩かせ、各鉄道にもバイトを乗らせ、SNSにフェイスシールドをつけた写真を出した人に報奨金を払い、電通自身、自社の社員にフェイスシールドをつけることを義務化した方が効果的ってことです。

ひとたび定着すると、「前々から私も気になってました」と言い出す人たちが続出します。気になっていたなら買えばいいし、つければいいのですけど、周りがやっていない以上、そうする動機にならない。気にするだけなのです。

現にこれが日本人の多数派ですから、こういう手法をとることを否定しないですけど、積極的に肯定する気はしない。

「周りに合わせる」のもそれぞれの意思ですから尊重はしますけど、やっぱり積極的には肯定したくない。

同志社大の調査にあったように、多くの人にとってマスクをつけるのは「本来の目的であるはずの、自分や他者への感染防止の思いとは、ごく弱い関連しかない」のであって、その目的は「皆が同じことをすること」にあります。そこに安心感があって、この安心感はウイルスと関係がない。

 

 

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