松沢呉一のビバノン・ライフ

選別的ロックダウンの皺寄せを受ける人々のプロテスト—ポストコロナのプロテスト[4]-(松沢呉一)

アンチ・ロックダウン/アンチ・ワクチン/アンチ・マスク/プランデミック—ポストコロナのプロテスト[3]」の続きです。

 

 

 

マスクをしないプロテスターとマスクをしたカウンター

 

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私も広義ではアンチ・マスク派ですが、正確にはアンチ「マスク強制」派であり、「したい人はすればいいし、したくない人はしなければいい」派ですのですので、自分自身、必要だと思う時はします。狭義のアンチ・マスク派が「マスクをするな」「マスクを捨てろ」と言っていると、「うるせえよ、マスクしたい人がするのは勝手だろ」と反発します。強制に反対、意味のない口出しに反対。

環境保護の観点で言えば不織布のマスクはやめた方がいいかもしれないけど、そこまで私は細かくない。それぞれ好きなマスクをすればいい。その代わりしっかり捨てる。したくない人は何もしない。

自分のスタンスをはっきりさせるために、アンチ・マスクの集会に、マスクをしていくといいかもしれないい。

以下はドイツのシュトゥットガルトのアンチ・マスク・ラリー。

 

 

 

後半、マスクをしている人が出てきて、「あ、仲間だ」と思ったのですが、あれはカウンターでした。マスクをするルールを守れと。うるせえよ。

ドイツは州によって、また、都市によってマスク着用義務の範囲が違うのですが、シュトゥットガルトのあるバーデン・ヴュルテンベルク州では、公共交通機関以外ではマスクはしなくてもいいことになっています(推奨はあるかもしれないけれど)。ルールは守られているのです。

彼女がしているのは布マスクだと思われ、環境に優しい。しかし、そんなもんで「私はちゃんとガードしている」なんて思い込んで、マスクをしていない人がいっぱいいる場所に出かけること自体おかしいべ。イラン人一家のようですが、誰一人目を守っておらず、手袋もしてねえ。

これが私がいらつく人たちの典型です。十分なガードもしていないくせに、他人に口出しをする。そんな暇があるなら自分のガードをしっかりやれ。「マスクしている/していない」という大雑把な区分けでしか考えられないことの結果です。

 

 

たまにいる私の同志

 

vivanon_sentenceアンチ・マスク行動参加者で、インタビューを受けている人たちの意見を聞くと、私と同じ考えだろうという人がたまにいます。「マスクの強制が問題であり、マスクするしないは個人が判断すればいい。自分のことは自分で決定すべきである」といった内容。

以下は米国アイダホのアンチ・マスク・プロテスト。

 

 

 

 

「私はマスクに反対ではなく、マスクの強制に反対です」とプラカードを出しているのがいて、完全に私の仲間。でも、このグループはトランプ支持派です。マスクを焼いているし。焼かんでもよかろうが。

私の居場所はどこにもない。国によっては居場所はありますけどね。

 

 

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