松沢呉一のビバノン・ライフ

一言でセックスワークをまとめることはできない—「セックスワーカーのいるまち」より-[ビバノン循環湯 576] -(松沢呉一)

2008年、新宿二丁目のコミュニティ・センターaktaで開催した展覧会「セックスワーカーのいるまち」のパンフに書いた原稿です。この展覧会は大きなくくりとしてはHIVの予防啓発という目的があって、セックスワーカーへのアプローチも、イメージではなく、現実を踏まえる必要があります。そこからしか始まらないのです。

写真と文章からなる展覧会でしたが、今回使っている写真はその時のものではなく、適当に撮ってきたものです。文章はちょっとだけ直してます。

 

 

セックスワーカーはそこかしこにいる

 

vivanon_sentence数年前、セックスワーカーたちのエッセイ集ワタシが決めた(ポット出版)を編集した。その前に出したセックスワーク肯定論である売る売らないはワタシが決める(ポット出版)が「理論編」とするなら、『ワタシが決めた』はいわば「実践編」である。

世間一般にあまりに画一的に語られるセックスワークの実情を知らしめるためには、さまざまなセックスワーカー自身に原稿を書いてもらうのがもっとも有効だろうとの考えから出来上がった本だ。

しばしば語られる「ブランドもののバッグを買うために女たちは売春する」という言葉に対して、「そうとは限らない」とは言えても、「そうではない」と言い切ることはできない。現にそういうのもいるからだ。

「風俗嬢はホストに貢いでいる」という言葉も同様で、それが全部ではないが、そういうのがいるのは事実だ。

ブランドもののバッグを買うのもいれば、ホストに貢いでいるのもいる。資格を得るために学校に通う費用を稼ぐのもいれば、家庭の事情を抱えているのもいる。

なんにせよ、一言で言い切れるものではなく、その個人の現実を本人たちに綴ってもらうという趣旨のもと、「仕事に関係することならなんでもいい」とあえてアバウトな原稿依頼をした。

この趣旨がなかなか伝わらず、本人たちが「ヘルス嬢に較べてソープ嬢は〜」「結局のところ、売り専をやるのは〜」といったまとめ方をしていることがあったために直してもらったりもしたのだが、人によりけりの現実は十分に見せられたのではなかろうか。

しかし、原稿を集める手間が並大抵ではなく、このシリーズは2冊で挫折。その後、別の出版社から3冊目を出す計画も持ち上がって、原稿も集まっていたのだが、出版社が潰れてしまった。

今回の「セックスワーカーのいるまち」という展覧会はその延長上にあって、さまざまな経歴の、さまざまな考え方のセックスワーカーたちが、そこかしこにいる現実を見せたかった。

 

 

感染症対策の難しさ

 

vivanon_sentenceそもそも仕事の内容自体が千差万別だ。性器に触れない、触れさせないセックスワークもあれば、感染リスクの高いセックスワークもある。この差は必ずしも業種で線引できるわけではなく、店単位でさえもきれいに区分するのは難しい。

同じAV嬢でも、本番をするAV嬢もいれば、服を脱がないAV嬢もいる。業種としては本番がないはずのヘルスで、生本番をしているのもいる。客の体に触れないプレイをする女王様と同じ店で、アナル・セックスをする女王様もいる。

同じ人間が業種変更をすることもあるし、同じ人間が同じ業種の同じ店で、それまでとは違うサービスを始めることもある。

病気に関しても、店単位でまとめて検査をやっていることもあれば、個人が検査に行き、その検査結果を提出させる店もある。店は一切関与せず、個人で頻繁に検査に行っているのもいれば、セックスワークを始めてから一度として検査をしていないのもいる。

これらをまとめて同じ対策をとろうとするのは土台無理な話なのだ。

 

 

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