松沢呉一のビバノン・ライフ

ドイツにおける「コロナ対策をナチスに喩えること」への批判は杜撰すぎる—ポストコロナのプロテスト[71]-(松沢呉一)

自身をゾフィー・ショルやアンネ・フランクに喩えただけで大臣や警察までが乗り出すドイツの怖さ–ポストコロナのプロテスト[70]」の続きです。

 

 

 

一部を取り上げて全体を否定する手法がまかり通っている

 

vivanon_sentence前回書いたような流れがあって、ロックダウンや規制に賛成する人々やメディアは、これらの動きを苦々しく思っていて、それらの人々が攻撃するネタとして右派やプランデミック派を好んで取り上げています。これではいよいよリベラルな人々は参加を敬遠して、アンチ・ロックダウンのプロテストが右派とプランデミック派のものになってしまうだけじゃないですか。

一方で、極右は決してQuerdenken711の主流ではないと指摘しているメディアもあり、こちらが正しいのですが、「Querdenken711=極右」というイメージが作られてしまっているようで、サイトでわざわざ極右ではないというメッセージを出しているのはそのためでしょう。

また、極右参加の経緯と実情についてはQuerdenken711によるこちらのPDFで細かく説明されており、自動翻訳ではよくわからんのですが、警察と衝突したのは極右であり、主催は彼らを排除しようとしている旨が記されているようです。

11月の段階で帝国旗は見られなかったとの報道もあるので、排除に成功したのかもしれない。政治的、思想的排除ではなく、暴力行為の排除という根拠ができましたから。

プランデミック派はそれよりもずっと多く参加していて、アンチ・ワクチンのプラカードも出ています。プランデミック派の中にはユダヤ陰謀論を組み込んでいるのがいることはこれまでにも指摘してきた通りです。おそらくこの中にもいるでしょう。しかし、これもイコールではない。そういうのもいるってだけ。

そういうのもいることをもってプランデミック派やアンチ・ロックダウン派をアンチセミティズムとして全否定していいなら、ムスリムも全否定、左翼も全否定しなきゃおかしい

※2020年8月25日付「DER TAGEDSSPEGEL」 Querdenken711に右派が深く関与していることを報じる内容。いかにも右派のデモのような印象で、この記事はあまりに一方的かと思えます。写真は右派出版社の広報担当者がスピーチをするところのようです。

 

 

プランデミックはプランデミックとして批判すればいい

 

vivanon_sentenceプランデミックを批判するのはいいとして、アンチ・ワクチン派を批判するのもいいとして、それ自体を批判すればいいだけのことです。その手間を省いてはいけない。

しかし、「プランデミック=反ユダヤ=ホロコースト否定」という決めつけが広がっていて、「極右=反ユダヤ=ホロコースト否定」という決めつけとともに、「Querdenken711=反ユダヤ」と思い込んでしまっている人たちが少なくないようです。飛躍的な三段論法です。

そう思っていなくても、Querdenken711や反ロックダウン、反規制を苦々しく思っている人たちはそれを利用しています。

こういうことはどこの国でも起き得ます。日本でも反原発のデモで日の丸があるだけで文句を言う人たち、右派がスピーチするだけで妨害する人たちがいて、主催までを批判したわけですよ。全体で言えば1パーセントでも許せないし、その1パーセントをもって全体を否定する。

勝手に作り上げたイメージの上で、ホロコーストをコロナ対策と重ねる表現は時にそれらをバカにしているようにも受け取れましょう。「そんなものはありはしないのだけれど」という前提の上でのホロコーストに対する揶揄だととらえられなくもない(よーく考えると、そんな解釈が入る余地はないと思いますが)。

あれらの比喩がホロコースト否定になるという考えは、この仮想があるためだとしか思えない。

 

 

next_vivanon

(残り 1624文字/全文: 3226文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ