松沢呉一のビバノン・ライフ

性風俗に見られる「昔はよかった」と「昔はひどかった」のふたつの評価—女言葉の一世紀[ボツ編]-(松沢呉一)

パオロ・マッツァリーノって誰だよ—女言葉の一世紀 97」の続きとして書いたのですが、おそらく「脇道に逸れすぎる」と判断してボツにしたのでしょう。覚えてねえわ。もうひとつの理由は「内容の多くは今までの繰り返し」ってことだろうと思います。たしかに過去にも二つの相反する評価について説明したことがあるのですが、「ビバノン」では読めないので、復活させておきます(「生まれる前に未来が決まっていた-『女工哀史』を読む 12」あたりに少し書いてます)。

 

 

 

性風俗に対する相反するふたつの述懐

 

vivanon_sentence時間軸に沿って性風俗を語る場合、「昔はよかった」と「昔はひどかった」と相反するふたつの評価が出てきます。これをどう見るのかはけっこう重要なポイントです。

とくに「昔はよかった」と語りたがる人たちについてはずいぶん前に、具体例を挙げて原稿にまとめてますが、「昔の方が情緒があった」という言い方は江戸時代からなされています。明治のものであれば「江戸時代はよかった」との記述を見かけますし、大正時代の本や雑誌になると「明治時代はよかった」と書かれていて、戦後になると「遊廓はよかった」、売防法以降は「赤線はよかった」になる。

それぞれいい点、悪い点があるにしても、こうも直線上に悪くなっているはずがない。しかし、理解できる点はあります。遊廓から赤線までとそれ以降で言えば、前者は泊まりができ、そちらが遊びのメインだったことが決定的に違います。泊まりだから、親密さが強まり、情緒も出てくる。

それに引き換え、「時間の遊び」は味気ないのは当たり前です。

しかし、売防法以降でも、泊まりの遊びが消えたわけではなくて、温泉芸者に金を出せば朝までいてくれます。今の時代でも、デリヘルに金さえ出せば泊まりが可能ですから、それをやればいい。あるいは出会い系などでウリをやっているのと交渉すればいい。

そういった経済力を失い、朝まで遊ぶ体力も失い、努力をすることもできなくなった人たちが「昔はよかった」と言い出す。

「昔はよかった」は老いさらばえた自身の現在を踏まえた郷愁が主な内容であり、その内実は「昔の自分はよかった」という述懐です。自分の衰えを直視したくないので、それを時代にすりかえて「おまえらは知らないだろうが、昔はよかったんだぞ」と誇示する。「最近の若いもんは」の変形と言えましょう。

だから、どんな時代でも「老い」が消えない限りはそう言いたがる人はいなくならず、名称が変わっただけなのに、「トルコ風呂はよかった。ソープランドは味気ない」という人もいそうです。

※大阪市立図書館所蔵「新町九軒ノ桜(大阪名勝)」絵葉書 近代になって新町は芸者町としても知られるようになりますが、大阪最大の遊廓です

 

 

「昔はひどかった」の中味

 

vivanon_sentence「昔はよかった」は老化によって「今の自分自身がよくない」という現実を直視したくない人のごまかしであるのに対して、「昔はひどかった」のひとつのあり方は道徳が作り出す言説に対する解釈だろうと推測できます。

遊廓を考えればわかりやすい。「家族のために前借で縛られて売春を強いられるのはひどい」のは「事実としてひどい」という側面があります。その点では女工も同じくひどいのであり、『女工哀史』にあるように、女工こそがひどいとも言えます。これは貧困と家族制度の問題。

対して「関東大震災の際に、吉原では大門を閉じたために娼妓が逃げられずに焼け死んだ」「娼妓は脳梅になって発狂して遊廓の中で死んだ」「死んだ娼妓は投込寺に投げ入れられた(投込寺に葬られた遊女・娼妓がいたのは事実として)」といったデマは「売春するような女は悲惨に死ね」という道徳を反映させた卑しい願望です。

遊廓時代を知る人たち、赤線時代を知る人たちに話を聞くと、「吉原はひどかったらしいけど、ここではそんなことはなかった」「遊廓時代はひどかったらしいけど、赤線ではそんなことはなかった」と語る人たちがいます。「ひどい」の内容は往々にしてデマだったりするのですが、デマを疑わず、「他の地域で起きたこと」「古い時代に起きたこと」と解釈してしまうのです。

「そんな事実はなかった。ただのデマである」とまではなかなか気づけない。よそのことや歴史を調べていくほど暇ではなく、デマであることに気づけない人たちが多いのをいいことにデマを流布させる矯風会のような団体や個人がいかに悪質かってことです。

※大阪市立図書館収蔵・歌川國員「新町店つき (浪花百景)

 

 

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