松沢呉一のビバノン・ライフ

4年経って読んだ麻生太郎批判の強烈な「差別性」—麻生太郎の「女性ですよ女性」発言のどこが問題なのか誰か教えて[中]-(松沢呉一)

4年ぶりの問い—麻生太郎の「女性ですよ女性」発言のどこが問題なのか誰か教えて[上]」の続きです。

 

 

4年後

 

vivanon_sentence前回がボツにした記事でした。

4年経って検索してみたら、当時は読んでなかった以下の記事が出てきました。

 

2017年6月27日付「東洋経済ON LINE

 

タイミング的に取り上げるしかないなと思いました。この「タイミング」というのは都議会選挙中ということではなく、最近復活させたボツ原稿に密接に関係していることを指します。

私の感想を読む前に、皆さんもこの文章を読んで考えてみてくださいな。

 

 

真意がわからないのに性差別としていいはずがない

 

vivanon_sentence結局のところ、あの発言を批判した人たちはどいつもこいつもこのレベルなのではないか? 自分でも何が問題なのかわからないまま、群集心理が発生したSNSのクラスターの中で、叩きたい感情だけで、麻生発言を性差別だと決めつけたってことです。

確認していきましょう。

これを書いた岡本純子氏は豊田真由子の暴言・暴行事件についてこう書いています。

 

 

「このハゲー!」

あの怒声がこのところ頭から離れない。6月22日、「週刊新潮」の報道により自民党の豊田真由子議員の常軌を逸した怒気と奇声が話題となったが、華麗な経歴や国会答弁などでの穏やかな話し方との「ジキルとハイド」級の乖離もあって、誰をも不快にする衝撃的な事件であった。

 

 

岡本氏自身が驚愕し、誰もがそうであったろうと思っています。

ここでもこれ以降でも、岡本氏はこれを「怒声」「怒気と奇声」という「話し方」の問題だととらえていて、元秘書や「週刊新潮」が刑事事件相当のものとしてとらえていたことをなぜか無視しています。そうしないと持論が成立しないためでしょうが、そうしたところでこの人の論は破綻しています。その破綻に大きな問題が潜んでいます。

続いてこう書きます。

 

こんな言語道断のパワハラに対して、麻生太郎副総理兼財務相の「あれ女性ですよ女性」という発言がまたまた、彼らしく、そして、性差別的で片腹痛いのである。「男だったらありうるが、女があんなふうに怒ることに驚いた」ということなのか、発言の真意はわからないのだが、結局、「こうあるべき」という女性像から外れている、という意味にもとれる。

 

 

「男だったらありうるが、女があんなふうに怒ることに驚いた」ということなのか、発言の真意はわからないとしていて、発言の真意もわからないまま、どうして「性差別的で片腹痛い」と決めつけられるのか。

女のデスボイスやスクリームを聴いて、「男だったらありうるが、女があんな声を出すことに驚いた」と言っただけで差別発言になるはずがない。

ジンジャーの最新曲。

 

 

叫び声も低い声も全部女性ですよ女性。

 

 

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