松沢呉一のビバノン・ライフ

「同性婚には賛成だが、同性間のキスは不快」という人々の中身—「ライプツィヒ権威主義研究」から考えたこと[1]-(松沢呉一)

ドイツ人の4割は今も全体主義を希求している—ベルント・ジーグラー著『いま、なぜネオナチか?』[付録編]」から続いています。

図版は最近撮った写真を適当に。内容とあんまり関係ないものも混じってます。

 

 

 

「ライプツィヒ権威主義研究」に大いに刺激を受けました

 

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ボツ記事を整理していて、「ああ、こういうのも書いたな」と思い返したりはするのですが、古いものはもう「わかっている」「考え終えた」ってものなので、そこから新たな何か考えを巡らせることはあまりなくて、作業をしながらずーっと考えているのは最近知った話。

具体的には「ドイツ人の4割は今も全体主義を希求している—ベルント・ジーグラー著『いま、なぜネオナチか?』[付録編]」で取り上げたライプツィヒ権威主義研究」です。あの調査で採用されている考え方に頭を支配されています。

読んでいない人は読んでおいて欲しいのですが、答えが社会的に合意されている「安定した問い」に対する答えと、そこから外れるようなアプローチをする時の答えにはズレが生じる。そのズレの数値までを出しています。

たとえば「人を殺すことは許されるか」と問うと、9割の人が「絶対に許されない」と答えるのに、その9割の人に「ナチスに家族を全員殺されたユダヤ人が戦後命令者や実行した人物を探して殺すことは許されるか」「強制収容所に入れられた人が脱出するために看守を殺すのは許されるか」「国軍のグループがヒトラーを暗殺しようとしたことは許されるか」「裁判でナチス高官、看守、医師らを死刑にしたことは許されるか」と聞くと、「許される」と答える人が次々と出てくるようなものです。「だったら絶対じゃないべ」と突っ込みたい。

というのは私が今作った例であって、実際にこういう質問がなされたわけではありませんが、あの調査に出ていた例では、同性愛に肯定的で、同性婚にも賛成の人の中に「同性間のキスは不快」と答えた人たちがいます。「おまえがやれ」と言われているんじゃなくても不快らしい。

「同性間のキスは不快」と答えた人がすぐさま「差別者だ」というわけではなく、納豆が気持ち悪い人と同様の個人の好悪ですから、公然とそれを表明することはまた別途問題が生ずることがあるとして、それ自体は尊重すべきであり、だからあの調査でもあくまで「潜在的」と表現しています。

「潜在的意識」だと「潜在意識」みたいで、本人も意識できないものになってしまいますが、「潜在意識に差別意識がある」のではなく、「差別意識が潜在している」という意味ですのでも誤解なきよう。

これを数値化しておく必要があるのは、個人意識にある潜在的差別意識は、顕在的差別に発展する可能性があるためです。

※新宿二丁目

 

 

潜在的差別意識が顕在化する時

 

vivanon_sentence同性婚に賛成/同性間のキスは不快ではない」「同性婚に賛成/同性間のキスは不快」「同性婚に反対/同性間のキスは不快ではない」「同性婚に反対/同性間のキスは不快」の4グループがいることになります。

「同性婚に反対/同性間のキスは不快ではない」はねじれているようでありながら、「同性愛者がキスをしようとセックスをしようと容認できるが、婚姻制度、家族制度が崩れる可能性があるので、法制度、社会制度に手をつけるのは反対」という人たちもいるでしょう。

当然、その中にもさまざまな考えが混在していて、「同性婚に賛成/同性間のキスは不快」には「私個人は不快だが、個人の快/不快と社会のルールがどうあるべきかは別問題」と考えている人もいる一方で、「同性婚に賛成」「同性間のキスは不快」というふたつの意見が自分の中で連携することなく存在していて、同性婚が実現するとどういうことが起きるのか想像できていない人もいそうです。

同性婚を実現することで、結婚式でキスをする光景、公園や路上でキスをする光景、テレビドラマやコマーシャルでキスをするシーンを見る機会が増えると、そのグループの中には「同性婚に反対」に転じる人が出てきかねない。

 

 

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