トップモデルが大富豪と結婚し、やがて夫は殺人犯に—イヴリン・ネスビットの華麗すぎた一生[上]-(松沢呉一)
イヴリン・ネスビットって誰?
「ビバノンライフ」を始めてから、添付する図版を探すのに苦労することがあります。そこで、美術館が公開している著作権切れの絵画や写真を多用してきましたが、「これにピッタリの写真があったよな」と思っても、どこで見たのかわからなくて、一から探すことになります。
そのような手間を少しでも減らすため、使えそうな図版があると保存するようになりました。URLやクレジットも添えて保存します。時々忘れたり、リンクが切れていたりして、画像検索して探すことになりますが、新規で探すことに比べれば楽。
とは言え、事前に使うことを予測するのは限界があって、結局、改めて探すことも多く、保存しているのは使えるかどうかではなく私の好きな絵画や写真だったりします。
保存した写真を眺めていると、同じモデルの写真が複数あることに気づくことがあります。時期にっても、写真によっても違うので、顔だけでは同一人物だと気づきにくいのですが、モデルのクレジットでわかります。
Evelyn Nesbitがそうでした。イヴリン・ネスビットという読みの前に字面で記憶していて、「これとこれとはモデルが一緒か」と。
古い写真にモデルの名前が添えられているのは相当に著名な存在で、たいていは女優かダンサーです。米国でもヨーロッパでもダンサーは今では想像しにくいくらいに人気があって、マタ・ハリもその一人でした。
決して多くはないですが、イヴリン・ネスビットはフルネームではなく、Nesbitとだけ書かれていることもあり、女としては珍しく、姓だけで呼ばれることがあった人のようです。誰もが知るほどに絶大な人気があったからでしょう。結婚後もネスビットを残して、イヴリン・ネスビット・ソー(Evelyn Nesbit Thaw)と名乗っています。
以下、ネスビットとあるのはすべてイヴリン・ネスビットのことです。
※Nesbit wearing flower wreath headband.
モデルという職業の黎明期に脚光を浴びたネスビット
絶大な人気があったことを確認したのは、「彼女は誰なんだろう」と思って検索して、Wikipediaに行き着いた時です。記述がムチャクチャ長い(日本語版にも項目がありますが、編集途中なのか、ズタズタで読むに耐えない状態なので、英語版をオススメします)。
長すぎてこの時は全部は読まなかったのですが、20世紀初頭、つまり日本ではまだ明治時代だった頃に、米国でモデルとして時代のトップを走り、ヨーロッパでも人気を博した存在だったことがわかりました。
日本では女優でも芸者でもないモデル専業の存在が継続して成立するようになるのはマネキン・ブーム以降の昭和初期でしょうが、米国ではもう少し早く、ネスビットは最初期に活躍した一人でした(彼女は舞台や無声映画にも出てますが、主たる活動はモデルであり、ほかはモデルの知名度から派生したものです)。雑誌や新聞で写真印刷が可能になった時代のことであり、それまでのイラストから写真に転換したために、多数のモデルが必要とされるようになりました。
はっきり彼女の存在を認識してからは、保存してある写真をまとめて使おうと思っていました。しかし、彼女の写真はヌードではないので、エロ原稿には使いにくい。日本の性風俗について書いた原稿でも、ヌードだと日本人じゃない写真や絵画でも使えるのですが、着衣だと距離が開きすぎてしまいます。ヌードだと見る箇所が分散するのに対して、着衣だと顔を見るせいかもしれない。
そうこうするうち、彼女を認識してから2年以上経ってしまって、つい数日前に、無理やりでいいから使ってやろうと思い、性風俗もの古い原稿を探しました。図版先行。
内容とはずれまくっている文章の冒頭にイヴリン・ネスビットがどういう人物かの説明を入れるために、改めてWikipediaを読んだら、ものすごい人生です。それをまとめたのですが、本文と変わらない長さになってしまい、独立させました。
※Evelyn Nesbit この時代には微笑んでいる写真はありますが、この笑顔は戦後のものにしか思えない。日本ではまだ明治時代ですよ。
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