セクシーな装いによって自由を得る—『アニー・スプリンクルの愛のヴァイブレーション』[中]-(松沢呉一)
「なぜ自分の性器写真を送ってくるのか—『アニー・スプリンクルの愛のヴァイブレーション』[上]」の続きです。
セクシーに装うことは解放になる
『アニー・スプリンクルの愛のヴァイブレーション』で著者は自身をフェミニストであるとしているところが一箇所だけあります。フェミニストである自分が、凡庸なフェミニストの発想を批判しています。
アニー・スプリングはカメラマンとして、多くの場合素人であるモデルを撮ってポルノ雑誌に公開する表現をやっていて、その作品も本書には多数掲載されています。その意味合いについて説明した箇所。
変身に必要なのは、化粧とガーターベルトとハイヒール、ちょっとしたしぐさの変化、そしてステキな写真だけ。私自身も写真家によって、夢にも思わなかったほどグラマラスにセクシーに変身させられた経験がある。本当に、解放され癒される思いだった。(略)
フェミニストは〈セックス・マガジンは女性を美化し、女性を「完璧に見せようとしているが、それは止めるべきだ。なぜなら大多数の女性は、「プレイボーイ」の見開きページに乗るようなルックスではないからだ〉と主張する。そのような完璧なルックスを見せられることで、それは女性たちは自分自身の体に満足できず、自信を持てなくなり、男性はなぜ自分の恋人はピンナップ・モデルと違うのだろうか、と不思議がるというのだ。しかし、これらの写真からはっきりわかるように、ピンナップ・モデルでさえ実はピンナップ・モデルのようには見えないのだ。だから、フェミニストである私はこう断言する。女性を美化するのを止めるのを止めよう。女性たち全員をグラマラスにしよう。全員を、腕のいいメイクアップ・アーティストに化粧させ、スタジオで写真撮影しよう。
私は「変身前」と「変身後」のどちらがより良いか判断はしない。私は両方とも同じだけ、美しいと思う。
素人を連れてきてプロのモデルのように扱う企画は日本でもよくあります。女性誌の読者モデルだってそうですし、女性誌で女性カメラマンが素人モデルのヌードを撮る企画もあります。
私も素人を連れてきて女王様に仕立てる企画をやってました。面白いのは、外側を整えると内面に影響するのです。そうならない人もいますけど、たいていは言葉や仕草も女王様らしくなり、やがては自分の中にある「女王様らしさ」に気づいて、これを契機にプロの女王様になったのが何人かいます。
アニー・スプリンクルが批判している「フェミニスト」の意見は、フェミニストに限らず、目立つ他者を潰す名目としてよく使用されます。「オネエがテレビに出ると、ゲイは誰もがオネエだと思われる」(だからテレビに出るな)といった具合。
「個人の行動は他者にその行動を強いるものだ」と決めつけて、同じ属性の他者の選択を否定してみせるのです。属性が同じならすべて同じ行動をとらなければならないはずだとの思い込み。
ある属性の。ある存在が表に出ることによって全体がそうだと判断されることやそのフォロワーを生み出すことはたしかにあります。しかし、この改善はその存在を叩くことでなされるべきではなく、別の存在をぶつけることでなされるべきです。
さもないと、どんな人も何もできない社会を到来させます。そうではなく、「あの人がそれを主張するなら、私はこれを主張する」「私がこれを主張しても、他の皆さんはそれとは違うことをやればいい」とするのがさまざまな生き方が同時に肯定される社会の基本です。
「女性たち全員をグラマラスにしよう」という呼びかけもまた全体主義っぽいのですが、そのあとに書かれているように、「変身してもしなくても女性たちはグラマラス」という意味合いが込められていて、そのことを知るために変身をする。自身が変身すれば「グラマラスな肉体は作られたものだ」と悟るってことです。
男の場合は女装をするとこのことを実感できます。「男であることは作られている」「女であることも作られている」と。他人はどう見るかは別にして、「自分はもっとセクシーかもしれない」とも思えます。作られた自分を自覚し、乗り越える契機になる女装っていいですわよね。
著者自身、本名であるエレン・スタインバーグとしての、太ってスッピンで陰毛を伸ばしたままの写真と、アニー・スプリンクルとしての、化粧をし、陰毛をカットした写真を並べて出しています(一番下の写真↓参照)。
そりゃ、パッと見はアニー・スプリンクルの方がエロいです。でも、それが作り物であることも見えてきてしまいます。作り物より、生々しい肉体を持ったエレンの方がエロくも見えてきます。あれはいいページだと思いました。
晒すことで自由になる
エレン・スタインバーグが、化粧をし、陰毛をカットし、ガーターベルトをつけてアニー・スプリンクルになるように、自分を改造すること、メイクや衣装、写真技術で別の存在に仕立てることが人を解放させ得ます。
私は、たいていの女性は様々なセクシュアル・パーソナリティを持っていることに気がついた。年単位で変化していく女性もいれば、一日単位で変化する女性もいる。また一度の性交の中で、十二もの違ったパーソナリティを披露する女性もいる。
アニー・スプリンクルが撮影したモデルの一人であったリンダ・モンタノはカトリックの修道女だったことがあります。修道女からエロまで多様なパーソナリティを持っている48歳。リンダ・モンタノの写真は2ページ+αにわたって掲載されています。
彼女にとって撮影は解放であったとリンダ・モンタノはアニー・スプリンクルに言ったそうです。
服を替えることで意識も変えることができることを、私は発見した。
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