松沢呉一のビバノン・ライフ

自分の感覚が世界の基準と錯覚できる人たちの危険性—全国フェミニスト議員連盟によるVTuber排斥問題[下]-(松沢呉一)

赤い口紅をつけて性的アピールをする「フェミニスト」が「女が腹を出すこと」を否定するダブスタ—全国フェミニスト議員連盟によるVTuber排斥問題[中]」の続きです。

 

 

戦前の道徳をフェミニズムだと思い込めることのおかしさに気付け

 

vivanon_sentenceお気づきの方もいらっしゃいましょうが、全国フェミニスト議員連盟の主張はスラット・ウォークのきっかけになったトロントの警察官と同じです。「女がはしたない格好をしてはいけない。それを性的なものとして見る側の問題ではなく、その格好をする女がいけない」という考え方です。

今現在の日本の警察はトロントの警官が依って立った道徳を乗り越えているわけですが、女を縛り付ける道徳を堅持する立場からその警察に文句をつけたのが全国フェミニスト議員連盟です。

ここで誰より戸定梨香を性的な視線で見ている、あるいは性的視線のみで見ているのは全国フェミニスト議員連盟です。その視線の異常性は、視線を向けられた側が負うのではなく、そんな視線でしかキャラを見ることができない自分が負うしかないでしょうに。

そもそもそんな見方に普遍性があるのか否かを確認してから抗議すべきだと思いますが、そんな見方をする人はほとんどいないようですよ。

参考までにFNNの報道。

 

 

これ以外の報道でも街頭で意見を求めていて、「問題とは思えない」「性的表現には見えない」「かわいい」といった意見が大半を占めていて、一部、(自分自身はともかくとして)抗議した側の気持ちを想像して「スカートが短すぎるのかなあ」などと言っているだけです。

全国フェミニスト議員連盟はそういった一般の人々の健全な見方を参照することもなく、自分らの「感覚」が世界の基準だと思い込んだのでしょう。トロントの警官と同じ、あるいは戦前の官憲と同じ発想が世界の基準のはずがないだろうが。

「世間の人たちが気づかない真理に自分は気づいているのだ」ってことかとも思うのですが、であるなら、世間の人たちが間違っていることを明らかにする普遍性のある論理をもってくるしかない。さもなければただの独善的妄想です。しかし、現にそんなものはなさそうです。

それはそうと、戸定って何からとったんだろうと思ったら、戸定邸と、それにちなんだ戸定歴史館いうのが松戸市にあるんですね。この報道で初めて知りました。戸定梨香は、妄想で難癖つけるだけの議員たちよりはるかに松戸市のために貢献しています。

 

 

独善に基づく全体主義者たち

 

vivanon_sentence女に強いられた道徳で縛られるのではなく、個人の判断を拡大し、尊重するのがフェミニズムの歴史だと思っている私は「それが女としてのアピールであっても、なおかつ性的アピールだと受け取るのがいたとしても、ミニスカートをはくことを許容する社会」を求めることがフェミニズムだと思うのですが、全国フェミニスト議員連の方々は口紅で「伝統的女らしさ」を表示しながら、「伝統的女らしさ」にそぐわない表現をするはしたない女の排除を狙いました。

この発想はフェミニズムとはなんの関係もなく、民主主義とも無関係。道徳の保守点検係であり、パターナリズムに基づく全体主義でしかありません。「新しい女」を排斥し、その活動の足を引っ張った戦前の教育者たちとまるで同じなのです。

この人たちのような論は非常に危険で、根拠が曖昧であるが故に、際限なく拡大できます。誇張されたとは思えない胸の大きさでも性的対象物のアピールだと決めつけることができるのであれば、あらゆる女の言動は制限することが可能になります。

ただし、口紅や衣装で女であることをアピールする自分は別。なぜならそれは伝統的な作法に則っているからですし、自分は特別だからです。

 

 

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