たった3回ですべてを終えた—イチゴの涙[下]-[ビバノン循環湯 601] (松沢呉一)
「会ってすぐに話し始めた彼女の事情—イチゴの涙[中]」の続きです。
2度目の逢瀬
教えてくれたアドレスで出勤を確認して、またカスミちゃんに会いに行った。どうせ時間が足りなくなって延長することになるに決まっている。前回を踏まえて、この日は90分で入った。
「わー、また来てくれて嬉しいです」
直前に札幌に行っていたので、札幌のロイズチョコレートを土産に渡した。
彼女はジッと私の目を見た。
「旅先で私のことを考えてくれていたことだけでも嬉しいです」
よくあるセリフだが、私も土産をもらったり、旅先からメールをもらうと同じ意味で嬉しくなる。相手によるわけだが。
「夏休みはどっか行った?」
「温泉に行きましたよ」
「例の彼とか」
「そうです」
金は全部彼女持ちである。
彼女は前回は教えてくれなかったことも話し始めた。そうは見えないが、彼女はすでに30代に入っている。職場のことも詳しく教えてくれ、主任という役付だそうで、おそらくいい給料をもらっているのだろう。
「実家に住んでいて、お金はそんなに使わないので、昼間のお仕事の給料は半分くらい彼に渡してます。それでも足りなくて、私に風俗で働けと彼の方から言ってきたんです。悩んだんだけど、働き始めました」
ひどい話である。しかも、この男は結婚している。こういう男の神経が私は理解できず、こういう男に貢ぐ女の神経もわからない。
貢ぐも貢がないも本人の勝手だと思っている私だが、いざ目の前にすると、一言言わないではいられない。
「あのさあ、そんなことをしたところで、なんにもならないよ。男が会社を設立する話だって怪しいもんだと思うよ」
「そうなんでしょうか」
「その男がいくらお金を稼いでいて、いくら貯金をもっているのかわからないけど、会社なんて、自分のできる範囲で設立すればよくて、株式会社が無理だったら有限から始めればいいんだからさ。それさえできなければ、自分の責任で銀行からでもサラ金からでも金を借りればよくて、そんなヤツが仮に会社をやったってうまくいかないよね。いざとなれば君を働かせればいいだけなんだから、金をきりつめて堅実な経営なんてできるはずがないじゃないか。別れた方がいいよ。お金は自分のために使った方がいいって」
20歳そこそこの小娘が風俗で働いて、ホストに貢ぐのも経験としてはいいだろう。その馬鹿馬鹿しさに気づくのは気づく。経験しないと馬鹿馬鹿しさに気づけない人は経験した方がいい。同じことなら早い方がいい。
しかし、結婚だっていつかしたいと思っているであろう彼女が、この歳でやるようなことではない。
たぶん、男は離婚を匂わせて、彼女から金を引き出すことだけを考えているのだろう。絵に描いたような話だ。
「いや、一時は離婚するって言っていたんですが、私はもう彼と結婚できるとは思ってません。私も彼のためにここまでするのはバカバカしいと思ってます。でも、騙されていてもいいんです」
そんな話をしたあと、前回以上に彼女は激しい姿態を見せ、また涙を流した。
「他の人だとこんなふうにはならないのに、松沢さんだと、どうしてこんなに感じちゃうんだろう。電気が走ります」
彼女は身も心も私に晒すようになっていた。体を晒したから心も晒したのか、心を晒したから体も晒したのか、どちらが先かよくわからないが、もしかすると、やっぱりイチゴのおかげなのかもしれない。
※André DERAIN「Autumn fruits (two nudes)」
男に彼女は脅されていた
これからしばらく間があいてしまった。彼女は仕事が忙しくて出勤する暇がなく、私も忙しかったのだ。その間に私の中で、「あんな話、聞かなければよかった」との思いが芽生えていて、そのことが「会いたい」との思いをいくらか減じていたのも事実だ。
二度目に会ってから、一ヶ月半ほどが過ぎた。
「明日、久々に出勤します」とメールがあった。私は予約を入れた。
この日は直前まで仕事をしていて、土産を買う暇がなかった。
「ごめん、今日は土産なし」
「いいんです、会いに来てさえくれれば」
これまで同様、また彼女は涙を流した。彼女は「電気が入るぅ」と言いながら繰り返し果てて、ベッドでグッタリしながら、彼女はさらにこんな話を教えてくれた。
「風俗で働き始めてすぐに彼に“やっぱり私にはできない”って言ったんです。そしたら、彼は“いまさら何を言っているんだ。おまえの親や職場に言ったらどうなるかわかっているのか”って脅すんです」
「そういう会話を全部録音しておけよ。それで相手を脅せばいいんだよ。“もし私にそんなことをしたら、奥さんや職場にテープを渡します”って。いざとなったら恐喝で訴えたっていいんだしさ」
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