松沢呉一のビバノン・ライフ

海水浴場まで混浴禁止になった例がある明治時代—岡満男著『この百年の女たち—ジャーナリズム女性史』[上]-(松沢呉一)

 

 

改めて岡満男著『この百年の女たち—ジャーナリズム女性史』

 

vivanon_sentence岡満男著『この百年の女たち—ジャーナリズム女性史』が幾度か出てきました。本当はまとめて書評として出した方がよかったのでしょうが、以下に書いているように、この本はまとまりが悪く、拾う範囲が広いため、書評もまたまとまりの悪いものになります。

本書は明治から大正にかけての女新聞記者たちや女性誌の数々を概観したものである第一部「ジャーナリズムをになう」と、その時代時代に話題になった女をめぐる習俗、出来事についてどう新聞雑誌が取り上げたのかを見ていく第二部「ジャーナリズムが描く」からなります。サブタイトルの「ジャーナリズム女性史」に該当するのは第一部ですが、第一部は全体の3分の1もありません。

そこまでネタがなかったのか、詳しく書きすぎると読みにくくなると考えたのかとも想像するのですが、第一部だけでまとめた方が本としてのまとまりはよかったと思います。第二部は混浴禁止に見る習俗抑圧の問題スカートの下に腰巻き 洋装ことはじめ」「肉食のすすめ 西洋料理の普及」「社会規範の重圧 恋愛悲劇素描」といった具合に続き、それぞれ女性史が柱になりつつ、テーマが雑多で、散漫な印象でした。

選択が散漫なだけで、中身はそれぞれ面白くて、そんなつもりで読んだのではないのですが、戸定梨香全国フェミニスト議員連盟の問題についてのヒントになるような事実や考察を知ることもできました。

結論を言えば読んで面白く、かつ役に立ったということですが、全体を貫く大きな難点があって、これは最後にまとめます。

 

 

海水浴場にまで及んだ混浴禁止

 

vivanon_sentenceでは、ここまでに触れていない点を観ていくとしましょう。

この百年の女たち』の第二部は「混浴禁止に見る習俗抑圧の問題」から始まります。

慶応4年(1868)、横浜で薬湯の混浴が禁止され、同年大阪では公衆浴場の混浴が禁止され、翌明治2年、東京でも禁止令が出されますが、なかなか徹底せず、明治33年(1900)に内務省令として全国の公衆浴場を対象に混浴が禁止されます。この時は12歳以上が対象だったため、12歳未満は混浴可。しかし、温泉地だけでなく、明治30年代でも東京近郊には多数の混浴銭湯が存続していたそうです。

「再三再四の禁止命令にもかかわらず、なお混浴が生きつづけたのは、なんといってもながいあいだの習俗で、男も女も罪の意識などまったくもちあわせていなかったせいだろう」と著者は書いています。習慣として受け入れる人々が多くなければ維持されなかったでしょうが、それとともに以前説明したように、銭湯経営の事情もあったかと思います。

東京では薪の確保が難しく、浴槽の数はできるだけ少なく、小さくしたかったとの事情が混浴を招きました。この事情は明治に入っても大きくは変わっていなかったはずです。廃材となった材木が手に入りやすくなったのは運送用の自動車が普及してからじゃないでしょうか。

 

 

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