松沢呉一のビバノン・ライフ

ガンナーサイド作戦を成功させたノルウェー人たち—ノルスク・ハイドロ重水工場爆破計画[中]-(松沢呉一)

ナチスドイツの原爆開発を阻止せよ!—ノルスク・ハイドロ重水工場爆破計画[上]」の続きです。

 

 

ガンナーサイド作戦で重水工場を破壊

 

vivanon_sentence

英軍はグライダーを使う作戦は諦めて、1943年2月、ガンナーサイド作戦を実施します。工場近くで育った地元民を含めたレジスタンスのノルウェー人6人による部隊をパラシュートで降下させ、グルース作戦によって潜入した先行隊と合流させるもの。

最初からそうしておけばよかったのですが、先行隊は引き返すことができなくなって、長期間ノルウェーに潜伏することになり、もし見つかればまたも射殺されます。自白しないように、彼らは毒薬を持ち歩いていました。

4ヶ月間、食料の補給もない中で、自力で食い物を確保するしかなく、山小屋を見つけて、トナカイを食っていました。何もない場所なので、ドイツ軍に見つかることはなく、ノルウェー人の密猟者と会う程度。

先行隊と追加部隊は合流して、2月末に工場に侵入して爆弾を仕掛けて破壊に成功し、10名全員無事に脱出(もともとノルウェー人ですから、その地に留まって、英軍に協力し続けたのもいる)。

先行隊のメンバーであったクラウス・ヘールベルクは作戦実行後もノルウェーに留まるつもりだったのですが、単独のドイツ兵に追跡されます。ドイツ兵もスキーが得意だったために、振り払うことができず、銃撃戦の末、確認はできないながら相手に銃弾が当たった模様で、命からがら助かります。

しかし、そのあと崖から転落して、肩を骨折。そのままでは逃げることができず、一か八かで、英軍の工作員たちと闘う、ドイツに協力的なノルウェー人に扮して、ドイツ軍の病院に行って治療に成功。

しかし、そのあと泊まったホテルでドイツ軍に捕まり(はっきりと彼が工作員だと察知されていたのではなく、ナチスに反抗的なノルウェー人として、他の宿泊者たちとともにまとめて捕まっている)、護送されるバスから飛び降りて辛うじてスウェーデンに脱出しています。

小説か映画のような展開で、「話を盛ってないか」と思わないではいられなかったのですが、実話ってことになってます。証人はおらず、証拠もないですが、検証はなされているでしょう。

Claus Helberg(1919-2003) 戦争後は山岳ガイドとなって一生を終えた

 

 

なぜこの物語に熱中出来なかったのか

 

vivanon_sentenceといったように、ダン・カーズマン著『ナチ原爆破壊工作』には、ハラハラ、ドキドキもふんだんにあるのですが、それでもそんなに思い入れることができなかったのは、もしこんな破壊工作がなく、ドイツは重水を手に入れられていたとしても、原爆製造まで至れなかっただろうと見られているからです。戦後、ドイツの内情が明らかになることでそうだったことが初めてわかったのではなく、戦中の英国の報告書でもそのような結論になっていました。

第一にはそれを可能にする頭脳は多数がドイツから脱出していました。人材という意味では、世界でもっとも原爆製造に近い国だったであろうドイツはユダヤ人排斥によって、みすみすそのチャンスを潰したのです。ヒトラーが原爆製造に積極的ではなかったのは、ユダヤ人排斥のミスが露呈してしまうからだったかもしれない。

第二には仮に頭脳がそのままドイツに残っていても、経済面で原爆は実現していなかった可能性が高いのです。

 

 

next_vivanon

(残り 2095文字/全文: 3506文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ