乳がんになっちゃったよ—生きているのか死んでいるのかもわからないNのこと[4]-(松沢呉一)
「オレじゃない誰かとつきあった方がいい—生きているのか死んでいるのかもわからないNのこと[3]」の続きです。
本命から間男に
別れ話のような私の提案から半年とか1年とか経った頃に連絡がありました。
「中野に引っ越したよ」
会っていない間に、彼女の生活は大きく変わっていました。一人暮らしを始めたことと関わっているのだと思うのですが、彼女にとって母親に対する抵抗だったモデルの仕事はやめて、会社員になってました。また、「彼氏が出来た」と報告してくれました。
私が言ったことを忠実に実行しているようでもあります。「言われた通りに彼氏ができたから、もう会ってくれてもいいでしょ」と。
ここからまた彼女との関係が新たに始まりました。
彼氏もタバコを吸うので、部屋にタバコのニオイがついてもいいのだけれど、銘柄が違うので、彼女は私が吸ったタバコを丁寧に袋に入れて捨ててました。もともとタバコの始末はきっちりしてはいたのですが、さらに一層厳重に始末するようになりました。そういうところは以前と違いましたが、私にとっては以前とそう変わったわけではありません。むしろ楽になりました。
「彼氏がいきなりここに来たりしないの?」
「しないよ。来る時は必ず連絡してくる」
つきあっている相手が彼女と同世代であることくらいは聞いてましたが、彼氏のことはほとんど私は聞きませんでした。彼女も積極的には言わない。どんな仕事をしているのか、どこで知り合ったのかも、知りませんでした。忘れたのではなく、当時も知らなかったと思います。これまでHがつきあってきた、いわゆる業界人だったり、SM業界の人たちだったりとはまったく接点がないことがわかっていたくらい。
彼氏はNがモデルをやっていたことやM女をやっていたことを知らないと言っていたはずです。そんな彼氏ができたことと関わっているのだと思うのですが、裸の仕事をやっていた過去を消そうとしている素振りも見せてました。
中野に引っ越してからは、陰毛も伸ばしていたんじゃなかろうか。
ある著名なカメラマンの写真集に勝手に写真を掲載されたことで彼女は怒ってました。そんなことでいちいち腹を立てるようなことはそれまでなく、雑誌はいいとして、図書館にだって入りかねない写真集には残したくなかったのかもしれない。
しかし、いまさら回収もできず、掲載料を新たにもらって矛を収めたはずです。私も少しはアドバイスはしましたが、私がそうさせたのではなく、彼女は自分の判断でそうしました。しっかりしています。
自分がモデルをやった、そのカメラマンのオリジナルプリントを彼女は持っていたのですが、「これ、いる?」と差し出しました。しっかり保存していたのではなく、シワがいっぱいついています。手元にそういうものも残しておきたくなかったんだと思います。もし私が「いらない」と言ったら、彼女はその場でゴミ箱に捨てたでしょう。
あのシワはひとたびゴミ箱に捨てた際についたもので、「松沢が欲しがるかも」と思って救出したのではなかろうか。今もうちのどこかにあるはずです。
安定した関係
この時期がもっともNは安定していて、私との関係も安定していました。
私だけがそう思っていたのではなくて、Nもおそらくそう感じていたと思います。安定の部分を彼氏に求める分、私に対しては危険なことを求めるようになっていて、この頃がもっともセックスに積極的でした。
浮気相手の方が興奮するとばかりに大きな声を出すようになり、「もっといやらしい言葉を言って!」と言葉責めをして欲しがることもありました。これはM女をやった経験からかもしれないけれど、恋愛を彼氏に求めることによって、私はセックス担当になったようでもありました。
エロの仕事をやっている人たちには案外そういうのも多かったりしますが、Nはセックスの経験も恋愛の経験も決して豊富ではありませんでした。恋愛もセックスも数えるほどしか経験がない。
それが経験を経たことで積極的になってきたに過ぎないとも言えますが、その様を私に晒すようになったのは、関係が変化した結果でしょう。
私は本命から浮気相手に転落したわけですが、そのことに寂しさなんてありはしませんでした。
Nの手料理
その話と逆行するようですが、中野に引っ越してからNは凝った手料理でもてなしてくれることがありました。浮気相手というより本命ぽいですが、たぶんこれは彼氏にしてあげることの余録だったのではなかろうか。彼氏のために料理のムックを買ってきて作った料理を私にも食べさせる。あるいは彼氏に作ってあげようとしている料理を私で試す。
私はそういった家庭的な関係を求めていなかったのですが、彼氏がいることで適切な距離を保てていましたから、その手料理をおいしくいただいてました。私の好きな香辛料の利いたものではなく、たとえばロールキャベツのようなものやカツレツのようなものでしたが、実際、彼女の料理はうまかったのです。
学芸大の頃はまがりなりにも「つきあっている」と言える関係だったのが、彼女はかまってくれる相手を見つけたことで安心したのか、だんだん連絡してこなくなり、私もしなくなりました。うまくやっているんだろうなと思えてました。
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