「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

【無料記事】「ヘイトスピーチ解消法」施行を前に — ウェブマガジン開始のごあいさつ


国連人種差別撤廃委員会(2014年8月19日) 

「法整備を必要とするような差別は存在しない」と日本政府は言った

 2014年8月、私はスイスのジュネーブに飛んだ。国連の人種差別撤廃委員会を取材するためである。同委員会による日本審査が行われていた。人種差別撤廃条約に加入している日本の履行状況を調査するためのものだ。

 有田芳生参議院議員や糸数慶子参議院議員もジュネーブに駆け付けた。観光シーズンのジュネーブはどこもホテルの宿泊料金が高価で、私も有田議員も、トイレ・シャワー共同利用のドミトリーに泊まった。

 日本審査がはじまる直前に、各国から参加した委員に向けた非公式のブリーフィングが行われた。そこで有田議員が、日本における人種差別の現状を説明した。ヘイトデモの映像も流された。「死ね」「殺せ」とわめきながら街頭を練り歩く集団の姿を、各国委員が呆気にとられたような表情を浮かべて見つめていたことを覚えている。

 案の定、”本番”の日本審査では各国委員から日本政府への厳しい意見が相次いだ。

「日本はなぜ、ヘイトスピーチを容認しているのか」

「なぜ、ヘイトスピーチを防ぐための法整備ができないのか」

「警察はヘイトデモを守るために機能しているのか」

 これに対し、日本政府代表団は防戦一方だったといえる。

「この問題に手をこまねいているわけではないが……」

 そう前置いたうえで、代表団は苦しい言い訳を披露するしかなかった。

「表現の自由を考えれば法整備は難しい」

「我が国には法整備を必要とするような深刻な差別は存在しない」

 つまり、「深刻な差別」の存在すら認めなかったのである。

 まるで差別者集団を政府が必死に守っているかのようにも見えた。

 その晩、ワインを飲んでドミトリーに戻った私は、固いベッドにだらしなく倒れこみ、「どうせ何もかわらないんだろう」と歯ぎしりした。

 あれから2年も経過していない。いや、それでも長い時間をやり過ごしてしまったのかもしれないが、差別の存在さえ認められていなかった状況があったことを考えれば、少なくとも国がヘイトスピーチの被害を認めただけでも大きな前進ではないか。

 もちろんいまでも「表現の自由」を危惧する声はある。だが、差別者集団に罵声を叩きつけられ、脅され、表現も言葉も奪われているのはマイノリティの側である。社会が守るべきは「差別の自由」でも「他者を排斥する自由」でもない。断じてない。ヘイトスピーチという暴力によって沈黙を強いられている人たちにこそ「自由」を取り戻すことが必要なのだ。

 解消法は不当な差別的言動が許されない、ということを宣言し、国や自治体に対し、相談体制の整備や人権教育、啓蒙などの施策を求める内容だ。禁止規定はなく、罰則もない理念法であるために、実効性を疑う声も少なくない。また、保護の対象が「適法に居住する国外出身者とその子孫」としたために、アイヌ民族、あるいは難民申請者など非正規滞在の外国人への差別が容認されてしまうかのような誤解も生じやすい。そうした指摘を受けて、与野党は「保護対象以外のものであれば差別的言動も許されるとの理解は誤りである」という付帯決議も可決したが、不安の声が一掃されたわけではない。

 それでも、「表現の自由」を持ち出しては立ち止まり、差別はないのだと自らに言い聞かせてきた「政治」が、変化を見せたのだ。

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