Siouxsie And The Banshees “Hong Kong Garden” -人種差別がいけないとかそんなメッセージではなく、みんな好きにやったらいいやんって、歌っているのです
ポスト・パンクがどこから始まったと検証するのは難しいですが、僕はスージー・アンド・ザ・バンシーズの「ホンコン・ガーデン」からだと思っています。
当時はニュー・ウェイブと言われていたのですが、それはパンクが思ったほど売れなくって、仕方なしに、ニュー・ウェイブ、パワー・ポップってレコード会社が言い出したのです。当のアーティストたちはニュー・ウェイブって言葉を嫌ってましたが、僕らリスナーはニュー・ウェイブって響きがヌーヴェルヴァーグな感じがして気に入ってました。今はニュー・ウェイブよりポスト・パンクの呼び名の方がインテリな感じがして使っているのでしょう。
パンクという革命が、ただのファッションとなってしまい、やっている本人たちがもっと前進しようとしたのです。その中で一番最初に意識的だったのが、スージー・アンド・ザ・バンシーズだったと思うのです。セックス・ピストルズのジョン・ライドンが始めたパブリック・イメージ・リミテッドがポスト・パンクの始まりのような気がしますが、そのダークな方向性の流れを決めたのはスージー・アンド・ザ・バンシーズだったと思うのです。
ポスト・パンクとは何か、一言で言うとドラムの革命だったのです。リズムの革命ですか。スージー・アンド・ザ・バンシーズの「ホンコン・ガーデン」のプロデューサーとは後にU2、XTC、ピーター・ガブリエルのプロデューサーで名を馳せたスティーヴ・リリーホワイトです。「ホンコン・ガーデン」は元々、オリンピック・スタジオでエリック・クラプトン系のプロデューサーとやったんですけど、その音に満足せず、当時新人だったスティーヴ・リリーホワイトとやってみるかということになったのです。スティーヴがやったことが何かというと、ドラムをバラバラに録ったのです。元々のプロデューサーはグルーヴの方を優先したんでしょうが、スティーヴはドラム・サウンド自体に拘ったのです。バラバラにとることによって、タムの音、キックの音を他の音に影響されずに、自分たちの好きな音で加工することが出来るということです。これがXTC、ピーター・ガブリエルなどで極めたサウンドの始まりだったのです。いまだとサンプリングでどんなスネアーの音とキックの音の組み合わせなど何百通りも出来ますけど。それを78年にやったわけです。スティーヴ・リリーホワイトは「ホンコン・ガーデン」が売れたことによって、XTC、ピーター・ガブリエルの仕事を得ることが出来、彼が始めた実験を推し進め、そのドラム・サウンドが新しい時代の音となっていったのです。
パブリック・イメージ・リミテッドも同じような実験を始めたのですが、一番最初に成功したのはスージー・アンド・ザ・バンシーズの「ホンコン・ガーデン」だったのです。
もちろん、ギターのジョン・マッケイのパブリック・イメージ・リミテッドのキース・レイヴンに負けない、トレブリーでエキセントリックなギターも凄いんですけど。
ジョン・マッケイとドラムのケニー・モリスが抜けたのは本当に痛かったなと思うのです。のちのザ・キュアーのロバート・スミス、マガジンのジョン・マギオフが、元ビック・イン・ジャパン、スリッツなどでドラムを叩くバァジーの入ったアルバムの方が評価が高いですけど、実はこの二人が入ったスージー・アンド・ザ・バンシーズのファースト『ザ・スクリーム』とセカンド『ジョイン・ハンズ』は傑作です。ポスト・パンクということでなら、この2枚の影響力の偉大さは忘れてはいけないのです。僕はジョン・マッケイとケニー・モリスのその後の活動をずっと追ったんおったんですけど、スージー・アンド・ザ・バンシーズの時のような魔力が生まれなかったのは残念です。
やっぱりアンチ・ミュージシャンのようなスージー・スーとベースのスティーヴ・セブリンとで、とんでもないケミストリーが生まれていたのだろうなと僕は思います。
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