松沢呉一のビバノン・ライフ

「バンかけ」「パンパン」がつなぐ焼け跡と現在-ノガミ旅行記 [1]-(松沢呉一)-5,862文字

 

「ノガミ旅行記」は、2015年に「ビバノン」に出したのだが、『闇の女たち』の第二部でこの原稿の一部を使用したために引っ込めた。読み直してみたところ、かぶっていないところで貴重な話が街娼のボスから語られているため、手を加えて出し直すことにした。かぶっているところは極力削ったのだが、『闇の女たち』には原文の一部のみを使用していたり、原文にはあった引用部分をカットしていたりするため、その場合は残すことにした。また、話の流れ上、削りにくい部分も残している。『闇の女たち』を読んだ人にはくどいかもしれないが、そのような事情なのでご理解いただきたい。

以下の解説は最初に公開した時のもの。中に出てくる「興味を抱いた編集者」は新潮文庫の担当で、『闇の女たち』を出す前のこと。こういうもんに興味を抱くのは彼くらい。

 

詳しいことは忘れてしまったが、この原稿のほとんどは未発表のはず。

これ以外の上野についての一連の原稿をまとめて単行本にする話があり、「ノガミ旅行記」というタイトルも決めていたのだが、ポシャった。どこの出版社だったかも記憶になく、どうしてポシャったのかも記憶にない。「売れない」という判断だったのかと思う。資料性は高くても、売れないわな。拙著『熟女の旅』に上野の話が出てくるが、あれももともとはこの単行本に入れる予定だった原稿。

よくあることなので、そのまま記憶の奥底に沈んでいたのだが、興味を抱いた編集者がいるので、今回まとめておいた。

今回も、当時撮った写真は探せないため、最近の上野や有楽町の写真を適当に入れた。

 

 

千鶴さんと孝子さん

 

vivanon_sentence大学に入ったのが一九七八年。それから今までの二十年間、杉並区、武蔵野市、渋谷区、世田谷区と、ずっと東京の西側ばかりに住んできたため、東京の東側には疎い。何年か前から、あまりに知らない東京があることに気づき、積極的に東側に足を運び、ことあるごとに歩き回るようにしている。

とくにここ数年は、しばしば上野に行っている。懇意にしている古書店があるためだ。吉原を取材にする時も、その古書店に寄るため、上野経由で行くことになる(浅草や田原町経由も多いのだが)。

渋谷や新宿ほどではないにしても、それなりにはわかっているつもりだった上野だが、つい最近になって、上野の表層しか見ていなかったことを知らされた。

雑誌「BUBKA」の連載で、立ちんぼ、つまり街娼の取材を試みた。そこで男娼の千鶴さんと孝子さんと知り合った。不忍池の畔に、夜になると女装の男たちが立っていることは以前から知っていたが、二人の話を聞いているうちに、今までまったく見えてなかった上野が少しだけ見えてきた。私は上野のこと、東京のことを何もわかってなかった。

そこで、千鶴さんに頼んで、皮をはがした上野をガイドしてもらうことにした。刺激に慣れている私だが、近年、これほどまで驚くべき小旅行をしたことはない。

 

 

「バンをかける」

 

vivanon_sentence午後一時、待ち合わせの時間通りに千鶴さんはやってきた。男の格好である。複雑な家庭ながら、家ではお父さんをやっていて、女装は仕事上の制服みたいなものだ。

さっそく二人で不忍池周辺を散策する。花見のシーズンに合わせ、上野公園は「桜まつり」の真っ最中で、骨董屋のテントがズラリと並ぶ。平日なのに、週末並の人通りだ。

「商売あがったりよ」と千鶴さん。このシーズンは夜桜見物の人たちが多いため、客が寄り付かないのである。IMG_5871

前に会ったとき、千鶴さんと孝子さんは、このところの不景気にとことん参っていた。しかし、「また暖かくなれば、客が増えるわよ」と二人は、そのとき自分らを慰めるように言っていた。

「だんだん暖かくなると、気分が浮かれて、客が増えてくるんだけど、こんなに人通りがあると、バンをかけられないじゃないの」

「バンをかける」「バンかける」というのは、街娼やポン引きが客に声をかけること。「おにいさん、遊んでいかない?」「社長、いいコがいますよ」というアレだ。

昭和二十年代の本に出てくるのを何度か見たことがあるが、実際に使っている人に会ったのはこれが初めてだ。

「何が語源なんだろ」

「そんなの知らないわ」

「晩」という字を使っているものも、「番」という字を使っているものもどちらもあり、それぞれに語源の解釈が違う。

楳垣実編『隠語辞典』(1951年・昭和31年/東京堂刊)にはこうある。

 

ばんかける」(=話しかける)[ばんこん(晩今)の略語](ヤクザ・不良)

 

今も昔もなんでもかんでも言葉を引っ繰り返す人がいて、「バンコン」と女に声をかけたナンパ師がいたりもしたんだろう。

一方、芝居小屋で大部屋の役者に「順番が来たよ」という意味で声をかけることから来たという説もある。「番をかける」である。私はこちらではないかと思っている。戦前から男娼は女形出身者が多かったため、芝居との関係が強い。エンコ(浅草)は芝居の街であり、不良と役者との接点もあるため、この言葉が不良言葉として広がったのもおかしなことではなかろう。

何が語源であろうとも、今なお千鶴さんがこの言葉を使っていることに驚かされた。これはとりもなおさず、戦後のあの時代から人が途切れず、この地に立ち続けたことを意味する。考えてみればさして不思議でもなくて、今もこの地にいる六十代が商売を始めた四十年前は、焼け跡の時代を知っている人たちが先輩としてこの地を仕切っていたのだ。

 

 

焼け跡が続いている

 

vivanon_sentence

ここでは今も古い言葉がそのまま生きている。孝子さんも千鶴さんも「パンパン」という言葉を使う。私も、その言葉が使われていた時代の街娼には使うが、今現在の街娼に対しては使わない。私に限らず、今の時代に使う人は稀かと思う。

千鶴さんや孝子さんが「パンパIMG_7316ン」と呼ぶのは女の街娼である。自分らのことは「オカマ」と自称する。この言葉は昭和二十年代でも蔑称として使われ、男娼自身、この言葉を投げかけられることを嫌っていた。では、なんと自称してたのかというと、「女形」である。当時は役者から転じた人が多かったためだろう。

私はこれを「おやま」と読んでいたのだが、「おやま」は音が「おかま」に通じるため、「おんながた」と読むことが多かったようだ。また、「おかまや」という自称もあった。「おかま」に「屋」をつけただけだが、蔑称のニュアンスが薄れたのだろう。今も蔑称ではないことを明らかにするため、「オカマさん」と「さん」をつけるようなものだ。

この言葉を差別語であるとする人たちもいるが、もっぱら女性性を売りにする女装の男娼を指す言葉であり、それを女装していない男に向けるのはそもそもが間違いと言えるとしても、蔑称としてではない用法にまで文句をつけるのは行き過ぎかと思う。

なお、現在よく街娼の意味で使用される「立ちん坊」「立ちんぼ」はここ三十年程の間に出てきた用法。戦前からこの言葉自体は存在するが、寄せ場等で、手配師の声がかかるのを路上で待つ人々や、自動車がエンストしやすかったため、後ろから押して小銭をもらうためにボーッと立っている人々を指した言葉である。

 ※私は前向きに生きている街娼を「ポジパン」と呼んでいるが、まったく一般化していない。

 

 

あれもあれも商売をしている女

 

vivanon_sentence不忍池の畔を二分も歩いたろうか。辺りを見回した千鶴さんは、私にこう言った。

「でも、みんないるわね」

「えっ?」

 

 

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