一般公開する価値のない映画-厄介な「レイシストカウンター」批判 2(松沢呉一) -2,872文字-
「出演を辞退をした事情-厄介な「レイシストカウンター」批判 1」の続きです。
「レイシストカウンター」の問題点
仮編集の段階で私が感じたこの映画の問題点は、当時、メルマガにまとめています。改めて読み直したのですが、理由は大きく3点です。
1)内容
・映像や音声がひどくて、「どうして撮り直さないのか」と思わないではいられない箇所が複数ある。
・編集も稚拙で、工夫がなにもない。
・出演者の説明がないため、どこの誰かもわからず、わかっている人以外には、そこで語られている言葉の意味が理解できない。
・インタビュー以外の映像は借り物。現場に来ていたのなら、どうしてデモ動画のひとつも撮っていないのか。
2)時期
・この内容だったら、2013年のうちに発表しておくべきであり、局面が変わってから出す意味がない。
・ある時期の記録として出すのだとしたら、なぜヘイトスピーチ規制法肯定論者に語らせているのか。初期カウンターは「あのデモをなんとかしたい」という一点で集まっていたのだから、そこに留めるべき。ヘイトスピーチ規制法までを取り上げるのであれば賛成論だけをなぜ取り上げるのか。それが映画のメッセージであるなら、ヘイトスピーチ規制法反対の私は出ることはできない。
3)著作権
・借り物の動画は許可をとっていないと思われるものが含まれている。こんなもんを発表したら、格好の批判材料になり、訴えられたらそれまで。
のちにクラウドファンディングで金を集めることについての疑問をメルマガで論じていますが、出演を辞退した時点では大きくこの3点です。細かく言えば7点であり、ほとんど映画の全否定であり、小手先の直しではどうにもならないレベルです。
メルマガでは、「レイシストカウンター」というタイトルは英語としても日本語としても「レイシストによるカウンター」という意味にとらえられるとも指摘していますが、それはまあいいとして。
こういう映画ですから、仮編集版を途中で観る必要がなくなった事情も、そのあと一切協力する気もなくなった事情も理解していただけようかと思います。
残す意味のない記録
これらの問題点を改めて確認しておきます。
以下を御覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=6cGFJ2-H0Lc
出演者に申し訳がなく、ここに埋め込むことさえ躊躇してしまいますが、あくまでこれは撮影者の問題。
何を言っているのか聞き取れない。予告編としてであっても、よくこんな映像を表に出せるものです。
完成版ではテロップでの補足があるらしいのですが、撮り直しますよ、普通。素人でも撮り直す。撮り直すことが不可能な内容ではないんですから。
鶴橋という場所の映像を入れる必要があっても、そこでインタビューを撮る必要はない。「インタビューは別の場所で撮れよ」あるいは「せめてマイクの工夫くらいしろよ」って話。
撮り直すことができない理由があるのだとしたら、「撮り直した方がいい映像を撮り直すと、全部一からやり直し」ってことくらいしか考えられない。問題があるのは、この部分だけじゃないんですから。
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