FUCK WAR,SHIT WAR-バター犬と性差別 6-(松沢呉一) -2,538文字-
「問題は性差別ではないところにあり-バター犬と性差別 5」の続きです。
FUCK WAR,SHIT WARのプラカード
もう1週間経ってしまいましたが、先週金曜日の国会前には外国人の個人やグループも多数集まってました。
子どもたちとお母さんたちのグループもいて、子どもたちは手作りのプラカードを持っていて、その中にはFUCK WARとSHIT WARの文字がありました。下品です。新聞には掲載できないでしょう。
しかし、怒りを込めて戦争を嫌悪していることは理解できます。卑罵語、卑罵表現というのはそういうものであり、セックスや糞尿を直接意味しているのではありません。
彼らが外国籍なのかどうかは知りませんが、おそらく観光客ではなく、日本に住んでいるのでしょうから、憲法を無視して法律が作られることに無関心ではいられなかったのでしょう。
憲法の「国民」という言葉は日本国籍を所有している人たちに限定されると思い込んで、「国民なめるな」というシュプレヒコールにインネンつけてきた人たちがいるわけですが、外国籍であろうと、子どもたちであろうと、この国にいる以上は、戦争を憎み、反対する表現を憲法は保証しています。このような下品な表現であっても。
「国民」にインネンをつけている人たちは、条文によってはそのように運用されている言葉であることを否定して、自分自身が、「国民」から、つまりは憲法から外国籍の人びとを排除する考えをもっていることを表明しているに等しい。
ついには日本国籍がないと選挙権、被選挙権がないことをもって議会制民主主義の否定にまで至っている人たちもいます。彼らの論理で言えば、「国民なめるな」が在日外国人を排除するというのであれば、「選挙に行こう」は、より明確に在日外国人を排除することになるわけですから、筋は通っています。
「国民なめるな」に文句をつけていた人たちは議会制民主主義も否定し、暴力革命でも目指しているんでしょうね。
「バター犬」が不快なのは当然
番長がツイートした「バター犬」という言葉は、古市憲寿個人が警察、権力に媚びる様を揶揄したものだと見るのが自然であり、そうである限り、問題になり得るのは「下品」という一点であることをここまで説明してきまました。
「バター犬」不快な表現だと感じる人がいることはよくわかります。罵倒そのものを不快だとする人もいるでしょうし、そこに性的な要素があるから不快だとする人たちもいるでしょう。これは卑罵語であり、不快と感じ得る言葉をあえて使っている以上、この表現を不快と感じるところまではおかしなことではない。
しかし、この社会ではそれをも容認していますし、容認されない社会は不自由です。
もちろん、政治家が下品な発言をすることは政治家の倫理に反するとか、弁護士が下品な発言をすることは弁護士の倫理に反するとか、そういった規程のある職業も存在しています。新聞やテレビでもそのような表現は避られています。
しかし、SNSで品のない罵倒をしたくらいで、そうも騒ぐようなことかね。そうも下品か上品かが大事なことかね。
「バター犬」をことさらに非難するのは産經新聞レベル
私は「バター犬」という揶揄の言葉で谷岡ヤスジのキャラを思い浮かべて、「大変よくできた表現だな」と関心し、以降、自分でも使うようになってますが、この言葉を品がないということで批判する人たちは、FUCK WAR、SHIT WARのプラカを掲げた子どもたちにも注意するんでしょうね。くだらねえヤツらだな。
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