松沢呉一のビバノン・ライフ

創価学会員へのお願い-信濃町を歩く(松沢呉一) -2,730文字-

 

公明党は消えてなくなれ!

 

vivanon_sentenceホントに公明党はむかつくな。何が「平和の党」だ。とっとと潰れてしまえ。と思う気持ちを抑えられない。あっちゃこっちゃにベタベタ貼られた公明党のポスターを見るだけで気分が悪いわ。

DSCN3652法案を通すために平気でデマを拡散する中間建二・東大和市市議木下広・豊島区議らの醜悪さを見ると、「公明党はこういう党なのだな」と改めて思わずにはいられない。

私が瀬戸弘幸、有門大輔ら「行動する保守」を批判するようになったきっかけは東村山市にあります。矢野穂積、朝木直子による「草の根」会派は、瀬戸らとともにデマを拡散。

私はそれを批判していたわけですが、彼らの攻撃対象は票を取り合う無党派議員であるとともに創価学会・公明党でもありました。そのため、彼らを批判する勢力を創価学会員であると彼らは決めつけてもいました。これ自体がもちろんデマです。

朝木明代の自殺については、「反創価学会・反公明党」という立場から、リベラル層も加担して陰謀論が組み立てられていった側面があります。二項対立の図式にハマるとこうなる。「いいもん・悪いもん」の二種しか存在しない世界を信じ過ぎ。

私は創価学会・公明党を擁護するつもりはさらさらなく、「相手が誰であろうと、デタラメ言ってんじゃねえよ」って話であり、あの当時、「草の根」を批判する創価学会員とぶつかったりもしていました。

当然、デマを垂れ流して、それに対する責任もとれない公明党の議員たちも批判するまでのこと。中間建二や木下広らは、「草の根」や「行動する保守」と同じタイプの人間ということですよ。

 

 

数パーセントの期待

 

vivanon_sentence国会前やデモで三色旗を派手に振り回している姿を見て、私は「やりすぎじゃねえの」と思ってました。

学会員の多くは反対の意思表示をせず、よって公明党は自民党を補完すべく賛成に回った以上、創価学会もまた憲法を無視する存在であることはすでにはっきりしていて、「そんな腐れ教団の旗を振ってんじゃねえよ」って話。

DSCN2186

それでも三色旗が容認されていたのは、デモや抗議参加者の中に、創価学会への期待が少しはあったからでしょう。無駄な期待だったわけですが。

今もその期待は私の中に少しはある。ほんの少しですけど、本来、創価学会はあんな法案に賛成するはずのない教団です。

もはや変質してしまっていても、そこに立ち返れば、いかにおかしなことになっているのか気づける学会員が数%はいるはずだとの期待はなおあります。

 

 

信濃町で鮫河橋の時代を思う

 

vivanon_sentence学会員の方々は信濃町に行くことがありましょうが、その際に、創価学会の立派な建物に行くだけじゃなく、その周辺を歩いてみて欲しい。すでに見て歩いている人たちもいるかと思いますが、まだの方はぜひ。

戦前の創価教育学会が宗教法人としてスタートするのは1952年(昭和27年)のこと。翌年、本部が信濃町に完成しています。ここを選び取ったのはおそらく地代が安かったということもありつつ、信仰の拠点だったためです。そのことを今も感じ取ることができます。

 

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