問題は性差別ではないところにあり-バター犬と性差別 5-(松沢呉一) -2,816文字-
「卑罵語の仕組み-バター犬と性差別 4」の続きです。
「バター犬」が個人対個人の関係に向けられた場合
「バター犬」という表現が「古市憲寿と上野千鶴子の関係を揶揄したもの」と解釈する余地はゼロではないと指摘しましたが、「差別表現は本人の意図とは無関係」とする人たちがよくいて、その論で言えば、「本人の意図がどうあれ、第三者にとって、上野千鶴子との関係を意味する表現であるとするよりも、そうではないとする方が自然」です。話はこれで終わり。
「差別表現は本人の意図とは無関係」という論はつねにどんな状況でも適用されるものではありません。そのことをすっ飛ばして、無闇にこのフレーズを持ち出す人が多すぎです。
このことは以前論じているのですけど、簡単に言うと、「発言者の意図がどういうものであったかを加味した上で、それが差別表現であるのか否かを第三者が決定するのであって、その結果、差別性があると判断された場合に、そんな意図はないという言い訳は無効」ということになろうかと思います。
さもなければ差別的な意図なく発した「ホモ牛乳」という言葉で不快になった同性愛者が「差別だ」と言い出したら、本人の弁明は一切無効というムチャクチャな差別認定がなされてしまいます。
したがって、この場合は、本人がどういう意図で言ったのかを考慮するしかなく、第三者としては、上野千鶴子との関係を揶揄したものではないとするとかないと思うのですが、念のため、仮にこの表現が上野千鶴子との関係を揶揄することを意図したものだった場合に「セクシズム」足り得るのか否かも検討しておくとします。
例題を考える
それを見極めるため、例を出します。
例1:会社の上司であるA男さんとB女さんの関係を指して、同僚の男たち、あるいは女たちがこんな会話をします。
「B女が昇進できたのはA男に朝までサービスしたからだろう」
これが性差別的揶揄であることは理解しやすい。女が評価されたら、実力なのではなく、性的関係によって不当になされたものだと判断されるのは不当です。
これが逆転した場合はどうか。
例2:上司がA女、部下がB男の関係で、同僚の男たち、あるいは女たちがこんな会話を交わします。
「B男が昇進できたのはA女に朝までサービスしたからだろう」
これは性差別表現とは言いにくい。女が昇進した時にもこのような揶揄はなされてきたのですから、等しくなされる揶揄でしかありません。しかも、揶揄の直接の対象は男であり、この関係における権力者は女です。弱者としての女が存在していません。
それでも社会的には女は弱者ですから、上司の女が女だからそのようなことを言われていると解釈すればなお性差別と言い得るかもしれないですが、現実には男も言われ続けています。
「部長はかわいい女子に甘いからな」「社長は顔で選ぶからな」「社長は彼女を狙っているんじゃないの」といった揶揄を男は受け続けてきた以上、ここは対称であり、女が上に立つようになって平等に扱われるようになったに過ぎません。
どっちもアウトと言えるのですが、これをアウトとする論理は性差別ではないわけです。
性差別とすることで見えなくなったもの
どちらが男で、どちらが女であっても、このような揶揄が問題となることはあり得ます。では、その問題はどこにあるのか。
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