都議会の性差別野次(セクハラ野次に非ず)を振り返る—下戸による酒飲み擁護 12- (松沢呉一) -3,025文字-
「セクハラとアルハラ—下戸による酒飲み擁護 11」の続きです。
都議会の性差別野次はなぜ「セクハラ」とされたのか
「セクハラとアルハラ」に書いたように、当初は私も賛同できるルールだったはずの「セクハラ」が、やがて日本では「被害者がセクハラだと思えばセクハラ」といったデタラメなことを言い出す人たちが横行してしまい、ルールとしての体裁が維持できなくなっていきます。
今まで書いてきたことの繰り返しにしかならないのですが、セクハラの定義がゆるんだことの弊害について説明をしておきます。
このことがもっとも顕著に出たのが、2014年8月に都議会で起きた性差別発言です。今もあれを「セクハラ野次」と認識している人たちが多いかと思いますが、当初から私はそのおかしさを指摘していました。
「ビバノン」が始まる前のことなので、改めてここでもまとめておきます。
性差別をセクハラにしてしまうメディアと国民
Facebookでの一連の投稿を読むとだいたい理解できようかと思います。タイトルは今回つけたものです。
まだあったと思いますが、こんな感じです。
澁谷知美さんは「差別者で嘘つき、鈴木都議は辞職すべし」の中で、私の一連の投稿に触れて、彼女も「セクハラ」という言い方をここでしないことを説明しています。
しかし、新聞やテレビだけじゃなくて、フェミニストを自称する人たちも「セクハラ」としていたのがこの国の惨状を物語ろうと思います。
「だから、定義をゆるませてはいけないのだ」と十年以上前からずっと主張し続けてきたのですが、朝から晩までCAM4を見て、古いエロ本を愛読書としているエロライターの私の言うことなんざ、誰も聞かない。
そんな中、私に賛同する澁谷さんは日本のフェミニストの中では異端でありましょう。ああいうフェミニストが増えるといいのに。
セクハラと性差別の区別ができない社会
あの野次を「セクハラ」だとするのは相当に難しい。日本で法的にセクハラを規定しているのは男女雇用機会均等法ですが、同法が適用される局面ではありません。あえて法律で言えば侮辱罪や名誉棄損罪が適用されるケースかと思います。しかし、そこで済ませるべきでもない。
もちろん、法律に規定されていない範囲で「セクハラ」を使ってはいけないわけではないですが、それはそれで定義ってもんが必要ですし、あの場合は「性差別」の文脈で非難されるべきでした。澁谷知美のように発言者を「差別者」と認定するのが正しい。
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