松沢呉一のビバノン・ライフ

拗音・促音の小文字が浸透するまで—日本語の表記 4(最終回)-(松沢呉一) -3,103文字-

戦争で消えた総ルビと戦後が生んだ「でんでん総理」—日本語の表記 3

 

 

 

小文字が広く浸透してからまだ半世紀

 

vivanon_sentence現代かなづかい」を定めた内閣告示の内容を取り上げて解説をした木枝増一著『解説現代かなづかいと当用漢字』(昭和二二年)を元に話を進めます。

ここには「拗音をあらわすには、「や」「ゆ」「よ」を用い、なるべく右下に小さく書く」とあります。「なるべく」と入ってます。促音も同様、「なるべく」です。

歴史的仮名遣いから現代仮名遣いの変化は、ざっくり言えば、言葉の歴史的経緯よりも、表音性を重視するってことです。現代仮名遣いは戦後短期ででっち上げられたものではなく、表音性を重視する記述は戦前からあって、一部の出版物では現代仮名遣いに近い表記が採用されています。合理的な表音表記が存在しながら、全部を変換する契機がなかったと言っていいでしょう。

その機会が敗戦によって訪れ、格助詞の「は」「を」「へ」といった例外を残しつつ、書いてある文字をそのまま読めば正しい発音になる現代仮名遣いへ。であるなら、「なるべく」なんてことを言わずに、小文字を使用することを唯一の正しい表記にすればよかったはずです。しかし、この猶予は外せなかったのです。

解説現代かなづかいと当用漢字』では探せなかったのですが、武部良明著『日本語の表記』(角川書店・昭和五四年)によると、国語審議会の答申では、「小文字で書くことを本体とした」と書かれており、その理由は「印刷その他の関係で不可能な場合も考慮された」と説明されているとあります。

歴史的仮名遣いや旧字も同じ扱いです。「ゐる」を「いる」にするのは簡単ですけど、旧字体から新字体にするにはすべて活字を作り直す必要があります。そのため、戦後でもここまでは戦前、戦中と同じ活字を使用していただけでなく、これ以降もしばらく使用し続けた印刷所があります。

 

 

国語審議会の顔ぶれ

 

vivanon_sentence印刷所も相当数空襲の被害を受けたでしょうから、いっそすべてリセットをすればよかったわけですが、そうはいきませんでした。大きい印刷所は対応ができるとして、小さい印刷所は対応ができない。はっきり小文字が正しいとしてしまうと、対応ができない印刷所は間違った表記の印刷をしてしまうことになります。

大手の新聞社は翌年には速やかに小文字使用に転換していて、これは資本があったとともにメンツです。

この時の国語審議会名簿を見ると、読売新聞社社長、日本経済新聞社社長、東京新聞社社長らが委員となっていて、臨時委員にも、朝日新聞用語解説委員会主任委員、読売新聞記事審査委員会委員、毎日新聞用語調査部長、東京新聞校閲部長、時事通信整理部長、日本経済新聞調査部長、共同通信調査部長らが名を連ねています。自分たちで決定したことは速やかに実行するしかない。あるいは速やかに実行できることを決定したってことです。

以降も国語審議会はこういった人々が参加しています。新聞社と通信社は共通ルールが欲しいですわね。通信社の記事を新聞社が配信する場合に、各社基準が違うと、いちいち表記を各社が直さなければならなくなります。かといって、通信社側で各社向けに直すのは煩雑です。だったら、全部表記を揃えようってことでしょう。

 

 

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