面相の悪いのが教員になった?—女言葉の一世紀 75-(松沢呉一) -3,261文字-
「老嬢(オールドミス)になることの恐怖—女言葉の一世紀 74」の続きです。
女教員は女学生のイメージを引きずった
前回の「二十代の老嬢」は衝撃でしたが、あの時代にはあれでもリアリティがあったのです。
たぶんあの話も創作だと思います。一生独身でいられるはずの教員で、独身でいようとするとどうなるかの教訓をおそらく創作して社会は女を脅しました。
しかし、現実にこれに近い話はあったでしょう。女教員の数は多かったのですし、その中には独身を貫いた、あるいは結果独身を通したのも一定数いて、その中には独身であることを悔いて呻吟したのがいなかったはずもない。
今だったら、「教員をやっている」というと、悪いイメージはほとんどないかと思います。「真面目で子どもが好き」というイメージは妻として母としてもプラスでしょう。
しかし、当時、女教員に対しては、「お転婆」「ハイカラ」「虚栄心が強い」といったイメージもありました。つまり、女学生イメージを引き継ぐのが女教員でした。
片っ端から読んでいるうちにこのことに気付いたのですが、そのために女教員と結婚を敬遠する男たちもいたらしい。
※『伊予八幡浜町営業案内並ニ美人写真帖』(大正五年)より「若い老嬢」イメージ
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