松沢呉一のビバノン・ライフ

亡くなっても語る言葉がない—銭湯に見る人間関係[1](松沢呉一)-2,752文字-

ハッテン銭湯を取り上げた回(「初めて生で見た陰毛[5]-毛から世界を見る 46」「ハッテンはできなくても銭湯には夢がある—ハッテン銭湯(上)」「奇妙な男の子—ハッテン銭湯(下)」)以外、銭湯ネタはそんなに読む人はいないんですけど、「ビバノンライフ」なんてタイトルにしている関係上、時々は銭湯の話題を入れておきます。今回の話は次のテーマに少し関係してきます。

写真は新宿区、江戸川区、大田区、品川区の銭湯ですが、本文に出てくる銭湯とは関係がありません。

 

 

 

死者の忘れ物

 

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銭湯はよく「地域のコミュニティ・センターだ」「町の社交場だ」などと言われます。正しいのですけど、この正しさには相当に厳格な条件がつきます。

二ヶ月ほど前のことだったと思います。口開けから間もない時間帯に銭湯に行ったら、脱衣場でじいちゃんたちが集まって何やら話をしています。

私は服を脱ぎながら横で会話を聞いていました。前日、この銭湯で倒れて救急車で運ばれて亡くなった人がいたようです。救急車で運ばれた時に、服や持ち物は一緒に救急車に乗せたのですが、ロッカーの中に忘れたものがあるというので、銭湯の店主がロッカーからそれを取り出して台の上に置きました。

大きな薬袋でした。店主は袋の中から薬を取り出しました。何日分かわからないですが、多種の薬が大量にありました。

「あの人は体が悪かったからねえ」

誰かがそんなことを言いました。「娘さんがどうしたこうした」と言っている人もいました。どちらも店主だったかもしれない。あとは言葉が続かず、忘れ物確認会はすぐに解散となりました。

その人の死の重みで言葉が出ないのではなく、語る言葉がないのだということに気づいて、私は洗い場に向いました。風呂から出た時には薬の束とともにその死は跡形もなく消えてました。

なお、風呂で倒れる人は多く、私も脱衣場で倒れるところを目撃したことがあります。意識ははっきりしていたので、立ち上がるのを手伝い、そのあとまた倒れて、銭湯の店主が介抱してました。呂律が回っていなかったのは酔っていたせいかもしれず、私がいる間は救急車を呼ぶには至らなかったですが、倒れる人、救急車で運ばれる人、そのまま亡くなる人は決して珍しくはありません。

初めて生で見た陰毛[7]-毛から世界を見る 48」に書いたように、これも銭湯の役割です。銭湯の煙突は火葬場の煙突に直結しています。

 

 

豪雨の日の銭湯

 

vivanon_sentence次のエピソード。

先月のこと。銭湯が開くとともに、じいちゃんたちと中に入りました。体を洗っていたら、突然、バタバタバタと屋根を強く打つ雨音が聞こえてきました。曇り空ではあったのですが、雨が降りそうではなかったので、急な雨音がその分唐突に響きました。

洗い場では「降ってきたね」程度の言葉は出てましたが、それ以上の会話はなく、よくある男湯の静けさが続きました。私は気づいていなかったですが、天気予報で雨になると言っていて、準備ができていたのかもしれない。

脱衣場に出たら、ここでは「すごい雨だね」「傘を持って来てないよ」「この雨じゃ傘があっても同じだよ」なんて会話が交わされています。雨が降り出さない限り、傘を持って出ない私が傘を持ってきていないのは当然として、皆さんも雨が降り出すとは思っていなかったらしい。

中庭を見たらすさまじい豪雨で、私も「全然やみそうにないですねえ」なんて会話を交わしました。

銭湯を出る頃でもまったく雨脚は衰えておらず、入口の軒下で皆さん雨宿りをしています。口開け時間は比較的混み合うもので、その第一陣が帰るところだったため、男女合わせて五、六人がそこに立っています。全員ご老人です。

 

 

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