外→脱衣場→洗い場の順に会話は減る—銭湯に見る人間関係[2](松沢呉一)-2,531文字-
「亡くなっても語る言葉がない—銭湯に見る人間関係[1]」の続きです。
銭湯でよく耳にする言葉は独り言
男女共有の待合室(というか休憩所というか)がある銭湯では、家族や恋人同士、体育会系らしき集団、近所の顔なじみの人たちが、飲み物を手にし、テレビを前にダベっているのを見かけることがよくあります。
また、脱衣場でも会話を交わしていることがよくあります。中庭の縁台でも。とくに早い時間帯はそういう光景を見ます。
しかし、洗い場ではさほど会話を交わしている人はいない。顔なじみの人たちでも「こんばんは」「今日は早いね」「お先に」「おやすみ」と軽く声を掛け合うだけで、あとは桶の音、湯の音だけが響いている。女湯からはずっと会話が聞こえてきていても、男湯はそんなもん。
そもそも銭湯で懇意の常連さんばかりが集まる時間帯は少なく、口開けと近隣の工場や商店が揃って閉まる時間帯くらい。その時間帯は何人もの人が同じ話題で盛り上がることがあるとして、あとは無理。個別の会話がチラホラ交わされるだけです。
だいたい昨今の銭湯は人が少ない。私しかいないこともよくあるのに、どうやって会話を盛り上げられましょう。
だからなのか、独り言を言う人たちは多い。銭湯に行くようになって気づくのは、刺青が入っている人、とくに筋彫りで終わっている人が多いことと、独り言を言う人の多さです。独り言を言う人は刺青を入れている人の数分の一ですけど。
明らかに病的な独り言を言っている人もいれば、「今日は混んでるな」「湯が熱いよ」などと思っていることをすべて口にしてしまう人もいて、家族が誰もいなくなって独り言が始まった人もいそうです。銭湯なんだから、他の人たちと会話をすればいいのに、その輪には入れない人たちなのではなかろうか。
洗い場での会話は断片的
銭湯で知人にバッタリ会うことが時々あるのですが、その時に話すのは、ともに浴槽に入る、せいぜい一分か二分の間です。一緒に来たんだったら、脱衣場なり待合室なりで待つでしょうけど、そうじゃないととっとと帰ります。
誰かと一緒に銭湯に行っても、洗い場に入って以降は「カラン→浴槽→カラン→浴槽」といった移動をし、人によってはサウナに入ったり、シャワーを浴びたりもする。浴槽が各種ある銭湯だと隣り合って湯に入るとは限らないため、物理的に長い話、込み入った話はしにくい。一緒に来て、カランは隣同士、浴槽に移動するタイミングを揃えて話し続けているのもいますが、あれは若い世代と外国人観光客に見られる行動です。
なんであれ「湯に入る」「体をきれいにする」という目的を果たしているところなので、たいしたことはしていないにしても、取り込み中は話しにくいということもあります。とくに体を洗っている時は大忙しです。だから、洗い場で大雨が降り出したことがわかったところで、わざわざそのことを話したりはしない。じっくり話す時は脱衣場に出てからになる。
私はサウナにはたまにしか入らないですが、多くの場合、サウナでも会話はない。何もしていないようで、内面は我慢するのに忙しい。サウナは自身の内面と向き合う時間であり、他の人が話すのも嫌って、「会話は禁止」と主張しているサウナーもいます。
露天風呂はまた条件が違っていて、足だけ湯に漬けてずっと話している人たち、浴槽の脇に置かれた椅子に腰掛けて話している人たちがいます。
中の浴槽でもそういう人たちはいますけど、通常は揃って浴槽に入って揃って出るわけではなく、浴槽の中で一分二分話したら、それぞれの定位置で体を洗うので、会話は続かない。
よそものが入り込みにくい場所
洗い場で知らない人と会話を交わすことがあっても最長で一分か二分。知らない人とずっと話し続けることもあるのですが、年に一回あるかないかの稀なケースです。
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