松沢呉一のビバノン・ライフ

在日認定がなされるまで—群衆心理に打ち勝つ方法[5](松沢呉一)-3,433文字-

絵のデフォルメ・言葉のデフォルメ—群衆心理に打ち勝つ法[4]」の続きです。

 

 

 

 

ここから逃れられる人はいるのか?

 

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下のSSNati Haile「Beka」のMVです。Nati Haileはエチオピアのミュージシャンです。

どこの国の誰でもよかったんですけど、「らしくない」曲と風景で思い浮かんだのがこのMVだったものですから。

このミュージシャンを紹介する時、ほとんどの人は「エチオピアの」とつけましょう。それをつけずにこのSSを出すと、肌の色が黒いことはわかっても、どこの人かさっぱりわからない。どこの人だかわからなくても純粋に音楽を楽しめばいいはずなのに、頭の中での整理ができず、落ち着かないのです。

これはどこで撮影したか不明ですが、アジスアベバは都会ですから、それを切り取っても池袋とさして変わらない。

エチオピアにもこのように「らしさ」のない曲もあって(Nati Haileの曲でもとりわけこれは「らしさ」が薄い)、音を聴いてもエチオピアだとまずわからない。歌詞がアムハラ語だとわかる人は日本にはほとんどいないでしょう。

エチオピアのミュージシャンを紹介する時は、こんな風景は出さないし、一曲だけピックアップするとしたら、エチオピア特有のニオイのする曲を出し、「いかにもエチオピア」「いかにもアフリカ大陸」とわかるシーンを出す。高地で民族衣裳をつけ、肩ダンスをやっているところとか。

この段階ですでにステレオタイプにハマっていて、偏見に乗り、かつ偏見を加速させています。いつもエチオピア人が民族衣裳をつけているわけではなく、アジスアベバのような都市部に住んでいる人たちが多いにもかかわらず、特徴的なものを出してしまう。肩ダンスはたいていのアムハラ人ができるらしいですけど。

日本を紹介するとなれば芸者を出すようなものです。大半の日本人は芸者の知り合いなんておらず、京都にでも行かないと見かけることさえないのに(赤坂でも神楽坂でも見かけることはありますが、「芸者=舞妓」というイメージが強くなっているため、芸者なのに「らしくない」のです)、日本人自らそれをやります。それがお約束になっているからです。

ミュージシャンを紹介する際に、国がどこかも言わず、「らしさ」を排除するのがPCに則っていると言われても、糞食らえです。そんなことを言う人たちがそれを実践できているのか確認すれば話は終わります。

せっかくなので、Nati Haile「Beka」をお聴き下さい

 

 

 

 

 

抗えないステレオタイプをコントロールする

 

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絵を描く時もそういう方向で誰もがわかるようにする。

人物画を写真と同じように正確に描くには何時間もかかります。でも、それが人物であることがわかる絵は10秒で描ける。幼稚園児でも描ける。似顔絵師ともなると、1分でそれが誰かがわかる絵を描ける。

Facebookでは写真のように見える絵を「すげえ」と感心するのがお約束で、それはそれで感心するのですけど、丸1日かけた写真みたいな絵より、1分で誰かわかる似顔絵を描く人の方が「すげえ」と私は思ってしまいます。これはステレオタイプ化の能力です。

絵のデフォルメは一目でわかりやすい。だから批判もされやすいのですが、言語のデフォルメも同じようになされています。事物や人物、事象をズレなく描写するには途方もない時間がかかる。そこで簡略化し、すでに存在している情報に乗ったステレオタイプを利用しています。

 

 

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