松沢呉一のビバノン・ライフ

事実を知り、考えるために—ポグロムから学んだこと[10](最終回)(松沢呉一)

「ホロコーストはなかった」と「ナチスではなかった」—ポグロムから学んだこと[9]」の続きです。

 

 

事実を積み重ねていくしかない

 

vivanon_sentence「ホロコーストはなかった論」を削除していい情報としてFacebookが認定すると、ここまで書いてきたような内容は取り上げにくくなります。

私はFacebookの削除チームについてはそれなりの信頼を置いています。図版についても言葉についても、自動でピックアップしていて、その上多数のスタッフが最終判断をしているわけですが、規約上、私は相当にきわどい図版を出しています。ピックアップされていないわけがなくて、それでも削除されないのは適切な判断がされているのだろうと推測できます。

仮にフェイクニュースを削除するようになったとして、イェドヴァブネ事件を取り上げたところで、削除するようなことはないだろうと思っていますが、かつてベトナム戦争の少女の裸を削除したこともあったように、どうしたって拡大は起きてしまいます(あの頃よりスタッフを増強して、ああいうことは起きにくくなっているはずですが)。

このシリーズの最初の方に書いたように、「フェイクか否か」の線引きは難しいところがあります。たとえば災害時に流れる「強盗団が車上荒らしをやって北上している」みたいな情報も、デマであろう推測はできるとしても、警察に問い合わせるなりなんなりして裏取りをしないと本当かウソかはわからない。

イェドヴァブネ事件も、すでにほぼ確定していることだから、さしたる時間をかけずに削除しないという判断ができるだけのことで、数十年間、内容が知られていなかった段階では簡単には判断ができなかったでしょうし、簡単に判断しようとすればフェイクとして削除される情報だったでしょう。

ヒトラーが劣等民族とした日本人がハーケンクロイツをありがたがったり、ホロコーストがなかったなどと言うことに対しては、批判していくしかない。批判するにはまず自分が事実を知る必要があります。批判するならその対象を読むのは当たり前という話を以前書きましたが、なぜそうする必要があるのかさえわからない人たちこそがデマを流します。存在しないかもしれないものを存在するかのように扱うことに躊躇がないわけですから。

その当たり前のことを実行するためには、批判対象を消してはならない。『我が闘争』もルドルフ・ヘスの手記も少年Aの手記も出せばいい。それを読んで批判すればいい。

私自身がそうであったように、「凶悪な狂人集団ナチス」の存在があまりに大きすぎるため、ただでさえポグロムには意識が向かいにくい。その上、この領域をタブー化することは、この傾向に拍車をかけます。

※ドイツ支配下のポーランド人警備員エリザベス・ベッカー。前回出した写真にも写っているようです。英版Wikipediaより

 

 

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