松沢呉一のビバノン・ライフ

国民の4割がホロコーストに気づいていたのに、ゲッベルスの秘書は「何も知らない」って……—ブルンヒルデ・ポムゼルが残した言葉[7]-(松沢呉一)

ゴットフリート・キルシュバッハのことをなぜ語らなかったのか—ブルンヒルデ・ポムゼルが残した言葉[6]」の続きです。

 

 

 

エヴァはなぜポムゼルを慕ったのか

 

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ブルンヒルデ・ポムゼルの知り合いにはナチスに批判的な人たちもいたそうですが、彼らはポムゼルを警戒していました。当たり前です。下手なことを彼女の前で言ったらゲシュタポに密告されかねない。ユダヤ人たちも同性愛者たちも彼女を警戒し、彼女が来たら会話をやめたでしょう。

にもかかわらず、ユダヤ人のエヴァは彼女を慕っていました。ポムゼルは1942年までは彼女の家に遊びに行っていて、煙草が好きな彼女のために煙草を土産にもっていってました。宣伝省に移って、職場には来ない方がいいとエヴァに言い、以降、エヴァはポムゼルの家に来るようになり、ポムゼルの母は貧しい彼女のため、パンを持たせてやったそうです。

いい話のようでありながら、ここはちょっとひっかかるところです。ドイツ国内ではそれまでユダヤ人を救援する行為には刑法でこれを禁じる定めがなく、ゲシュタポは拡大解釈で捕まえていたのですが、1941年11月、ユダヤ人に公然と好意的態度をとことを禁じる法律ができて、食糧を渡すだけでも罰せられるようになってます。つまり、ポムゼル母娘のやっていたことはこれに抵触するのです。

今の時代でも、新しい法律がどんな内容なのか理解しようとさえしない人の方が多いですから、法律のことを知らず、よって違法であることの認識がないまま違法行為をやっていることはあるわけですが、宣伝省でもこういった法のキャンペーンをやっていたはずで、それにまったく気づかないなんてことがあるのでしょうか。

ポムゼルはすべてわかっていてエヴァに援助をしながらもそれ以上助ける気まではなかったので、すべてわかっていなかったことにしたのではないかとも疑います。

エヴァの方も不用心ではあって、その食べもの欲しさだけでなく、ナチスの中枢に近いところにいるがために、いざという時はポムゼルが自分を助けてくれると期待していたのではなかろうか。ヒトラーや幹部たちがそうしていたように、世話になったユダヤ人を助けることは半ば公然となされていたのですし、ユダヤ人の友人、知人、あるいは見ず知らずの人であっても、匿う人たちがいました。表立っての反ナチス運動ではなく、目立たない形の抵抗運動をしていた人々です。あるいはゲシュタポに、ゲッベルスの秘書と友だちだと言えば見逃してくれるとエヴァは期待していたのではないか。

国外に脱出することは容易ではない彼女にとって他に方法はなく、そも時期にわざわざポムゼルに接近する以上、その期待がなかったとは思いにくい。

しかし、ポムゼルはなんの力にもならず、エヴァは強制収容所で殺されました。

Nazi Propaganda Poster – “Behind the enemy powers : the Jews”  宣伝省はこんな反ユダヤのポスターを作っていたわけです。省内にも貼り出していたでしょう。それも見てないってか? 見てもなんとも思わなかったってか?

 

 

知ることも考えることも放棄した106年の人生

 

vivanon_sentenceポムゼルはエヴァがいなくなった時のことをこう言ってます。

 

そして、エヴァは突然いなくなった。私たちにはどうしようもないことだった。彼女はきっと、どこかに連れ去られた人の側に入ってしまったのだ。でも、人々が連れ去られたのは、東部の空っぽになった農園を埋めるためだったと聞いたわ。戦争の起きている場所にいるより、むしろそのほうがましなのではないかと私たちは思っていた。そして、もしエヴァが強制収容所にいるのなら、そのほうが身は安全なのではないかとも思った。強制収容所で何が起きているか、誰も知らなかったから。

 

ここでも主語は「私たち」になってます。宣伝省の中の人たちが誰も知らなかったなんてことがあるわけがなくて。誰を示すのかわからない「たち」です。106年かけても「私」を確立できなかった人の特性です。

 

 

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