松沢呉一のビバノン・ライフ

チンコの好き嫌いを語る女たちと語れない女たち—女の顔フェチ[上]-[ビバノン循環湯 541] (松沢呉一)

9月26日、阿佐ヶ谷ロフトで開かれた「東京ヤリマン五輪!」で、ヤリマンの精鋭5名が登場したのですが、それぞれタイプが違い、その中で、漫画家の音咲椿さんは外専(外国人専門)です。他の人たちのように数百、数千、数万という単位でヤってきたわけではなく、外専の実践は8名のみですから、ヤリマンというにはいささか精彩に欠けます。本人もヤリマンとの自認があるわけではなく、私の定義からしても、ヤリマンという敬称は使えないのではありますが、ある種の「色物」として国籍でカバーして参加です。

彼女は日本国内で相手をゲットしており、いちいち「これで結婚して海外に行ける」と夢見るのが私の好きなタイプのボジマン(ポジティブ・ヤリマン=セックスそのものが好きでやりまくっているタイプ)とは全然違います。夢見る乙女が気づいたらヤリマンになっているタイプのネガマン(ネガティブ・ヤリマン=自己承認欲求等でセックスを繰り返す。しばしばセックス自体はそれほど好きではない)は若い時分にはよくあるのですが、ヤリマン時代、彼女は30代ですから、「その間違いに早く気づけ」って感じもありました。

彼女はもともとジョン・ボン・ジョヴィの顔が好きで、その顔を求めた結果が外専です。日本人でもアジア系でもいい顔に惹かれ、彼女は日本人と結婚していたことも、婚約者がいたこともあるのですが、どちらも決め手は顔。しかし、基準がジョン・ボン・ジョヴィですから、どうしても白人系に向かってしまいます。

ここで注目したいのは、相手が外国人であることよりも、顔がすべてってことです。「女は見た目ではない」なんて言いたがる人たちがよくいますが、それは「道徳的に正しい女」しか見てないからです。一般にヤリマンを肯定できない最大の理由も「道徳的に正しい女」から逸脱するからであり、この両者は通じています。

彼女の話を聞いていて、そのことを書いた古い原稿があったことを思い出したので、循環しておきます。2000年頃にポット出版のサイトに書いたものと、「URECCO」の連載に書いたものを合体させてます。この頃から私はヤリマン・フェミニズムを提唱しています。道徳派フェミニズムの壁は厚いですが、現にこれだけヤリマンを自認して、そのことを堂々と語れるのが出てきていることは、フェミニズムの外側で、私が共感できるフェミニズムが進行しているってことです。いいこと。

なお、「ヤリマン五輪」に出ていたあやまんJAPANユースのフェラチ王女だったと思いますが、好きなチンコは「ちょっと大きめ」と言っていたはず。「女はチンコの大きさなんて気にしない」と言いたがるのが多いですが、これは「私は気にしない」というべきところで主語を「女」にするアホの発言です。「なんでもいい」というのもたしかにいますが、数をこなせば好き嫌いが出てくるのは自然なことです。フェラチ王女の場合は「口にくわえてどうか」ということも基準になります。

男でもおっぱいは「小さめがいい」と言うのがいるように、「チンコは小さめがいい」と言うのもいますが、「Naked Attraction」の出演者を見ていても「やや大きめ」がヤリマン界隈ではもっともポピュラーじゃないでしょうか。

この原稿は「私」を主語にすべきところで「女」を主語にする人たちの間違いを指摘したものでもあります。20年前から私の書いていることは一緒です。

 

 

貧乳専と巨乳専

 

vivanon_sentenceポット出版のH君は貧乳専である。私の書いたものを読んで、自分から申告してくれた。注目されることがないだけで、彼のような貧乳専は意外に多いものだ。

貧乳専は巨乳専とこだわる方向が逆なわけだが、ただ逆なのでなく、そのありようが相当違う。貧乳専には「小さいオッパイが積極的に好き」という層とともに、「大きいオッパイが嫌い」という層が混じっている。「気持ち悪い」とか「暑苦しい」とか。 「垂れたオッパイが嫌い」という人もいて、大きいのはどうしても垂れがちなので、結果、小さいオッパイに向かう。

「大きい乳輪が嫌い」というのもいる。一般に乳輪は乳房の大きさに比例する。面積が広がる分、乳輪が大きくなり、色が薄くなるのは自然の理である。相対的に乳首は小さく見えるが、これは錯覚みたいなものだ。

この人たちも、その結果として、小さいオッパイを好む。巨乳そのものや、巨乳にまつわる特性を排除した結果、「小さいオッパイがいい」ということになっていて、そういった過程を経ずに「デカパイがいい」とストレートに主張する人が圧倒的に多い巨乳専とは大きな違いがあるのだ。

それにしても、これだけ貧乳専がいるのだから、貧乳専門の風俗店があっていいはずなのだが、未だ実現してない。なぜでしょうね。この答えについはどっかに原稿を書いたことがあるので、探してくださいな。私もどこに書いたかよく覚えてない。

Marble female figure, 貧乳彫刻

追記:「ファンタジーは巨大化する仮説」というのがあって、現実には小さい乳がいいのに、ファンタジーの中では大きい乳を求めがちであり、チンコも同じです。性的欲望はファンタジーに支えられているので、AVでも風俗店でも、「大きな乳」が現実以上に重用されます。オタク表現でも巨大化した乳が見られますし、春画ではチンコが巨大化してます。対して貧乳はファンタジー化しにくいという事情があり、貧乳性風俗店が成立しにくいのは、このことも関係してそうです。これもどっかに書いたことがあるのですけど、どこに書いたか忘れた。

 

 

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