ブーヘンヴァルト強制収容所の反乱—E.A.コーエン著『強制収容所における人間行動』[5]-(松沢呉一)
「ユダヤ人がユダヤ人を密告する心理—E.A.コーエン著『強制収容所における人間行動』[4]」の続きです。
分断支配に抵抗したオランダ人
「抑留者異常心理」から比較的逃れられていたグループがあって、ひとつは信念のある人々です。エホバの証人のような強い信仰を持つ人々や共産主義者のような強い思想を持つ人々です。
捕虜収容所の敵国兵士たちも同様であり、大規模な脱走計画を実行したのはロシア兵やイギリス兵です。収容所での待遇の違いや身体能力も関係したでしょうし、彼らは訓練された愛国心によって「抑留者異常心理」に入り込む程度が少なかったのだろうと思います。
そして、本書で挙げられているもうひとつのグループはオランダ人です。彼らはSSに対する憎悪を維持して、収容所内レジスタンス運動まで組織していきます。
「なぜオランダ人は特別だったのか」については議論があって、個人主義が理由に挙げられています。つまり、集団に埋没する発想がない。
SSと同化する傾向がなかったわけではないながらも、その程度が比較的ゆるかったということでしょうけど、著者は希望的な見方としつつ、「彼らは同一視から逃れられていたと考えたい」と書いています。「希望的な見方」というのは、著者はオランダ人ですから、「身贔屓かもしれないけれど」という意味と、その環境でもSSに自分を重ねることなく、自分を保ち続けた人々がいて欲しいという意味だと思います。
※Fotoarchiv Buchenwaldより。被写体は29歳のハンガリー人。この3日後に死亡。死因は書かれてません。この状態では軽度の病気でも重篤なダメージを受けそうです。撮影は前回の写真同様、アルフレッド・シュテューバー。
虐げる者たちと同化する心理
「抑留者異常心理」が起きるのは、生存のためです。この心理のひとつとして人格の分裂があり、著者は分裂病という言葉で説明していますが、乖離性同一性障害の方が適切かと思います(「彼女は美しかった」参照)。そうなることで辛うじて生き続ける。
「抑留者異常心理」に至った人たちは苛酷さを実感しなくなり、時には多幸感に至る人たちもいたそうです。こういった能力が人間には備わっていて、それが平時のマゾヒズムとして発現するというのが私の論です。
そうなれば自殺をする必要もない。しかし、「抑留者異常心理」に至れない人は苦しい。このタイプから絶望して死んでいった可能性もあります。そのことは書かれていなかったですが、オランダ人たちは死亡する率が高かったかもしれない。
著者は同時にユダヤ人ですから、エホバの証人同様の信仰がありますが、ユダヤ人はユダヤ人としての扱いを長らく受け続けてきていて、信仰やユダヤの生活様式の中で育っているため、集団としての発想が強かった可能性もありそうです。迫害慣れをしてしまう。
この心理はもっとゆるい形であれ、戦時に限らず、人種に限らず、しばしば虐げられた人々の中に発生する「虐げる者たちと同化する心理」「同じ属性の人々を否定する心理」の説明にもなっています。たとえば同性愛者の中に生ずるホモフォビアにも通じ、行動する者たちの妨害者にもなります。
また、道徳は「強者の論理」によって作り出され、それが自分たちを虐げているにもかかわらず、虐げられている者たちこそがその道徳を内面化し、道徳で同じ属性の他者を否定するのはよく見られることです。
※Wikipediaより、ブーヘンヴァルト収容所解放後、SS職員と収容者。
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