松沢呉一のビバノン・ライフ

ナチス支配に続くソ連支配の過酷—ダイアン・アッカーマン著『ユダヤ人を救った動物園』[下]-(松沢呉一)

ユダヤ人を絶滅せよ! しかし、希少動物は救え!—ダイアン・アッカーマン著『ユダヤ人を救った動物園』[上]」の続きです。

 

 

ドイツ人の協力者

 

vivanon_sentence私がこの本の中で大好きなエピソードは、無意識の協力者にはドイツ人がいたってことです。

ナチスのステロタイプと闘う物語—包茎復元計画[15]」で「ひょんな経緯からヤンはゲットーに自由に出入りできることになって」と書きました。あそこでは省略しましたが、この「ひょんな経緯」はドイツ人にもたらされたのです。

ある時、ドイツ支配下のワルシャワ動物園にドイツ人がやってきます。彼はワルシャワゲットーの労働局長であるツィーグラーという人物で、昆虫の標本を見せて欲しいと言います。この標本は、夫婦と交流のあったユダヤ人昆虫学者のシモン・テネンバウム(Szymon Tenenbaum)博士のコレクションで、ゲットーに入れられる時に、夫婦に託していったものです。

ツィーグラーは昆虫マニアでした。ゲットーの中でテネンバウム博士と知り合い、時間を見ては昆虫に関する話を聞く関係となり、博士の昆虫に関する卓越した知見に敬意を払うようになってました。その標本がここにあることを教えられ、見てもいいという許可を得てやってきたのです。

ツィーグラーは軍属でしょうけど、ドイツ軍が背後にいますから、それを奪って自分のものにすることだってできました。現に動物たちはドイツに奪われていったのです。

しかし、ツィーグラーは、その標本の素晴らしさをわかっているだけに手をつけようとはせず、ここに来ては時間を過ごすようになり、やがては博士の知人であるヤンをゲットーで博士と会えるように手配をしてくれます。

これによってヤンはゲットーに出入るできるようになり、あの手この手でユダヤ人たちを密かに外に連れ出すのです(ツッーグラーがどこまでわかっていたのかは不明)。

博士はやがてゲットーの中で病死し、その報告に来たのも悲しみに暮れるツィーグラーでした。

このエピソードはたかが個人の趣味が、国家の思惑を超えたことを示します。これはスウィングスにも通じる抵抗運動です。本人がヤンの行動をまったく知らなかったのだとしても。

だから、全体主義では個人の意思を否定するのは正しい。そんなものが国家を超えてはならない。矯風会の久布白落実が個人の意思で売春する女を許せなかったのは全体主義者としては当然の態度であり、それを法で葬ろうとしたのも当然でした。

Szymon Tenenbaum 現在も保存されているテネンバウムの標本を紹介するサイト

 

 

ヤスと呼ばれた装甲車

 

vivanon_sentence1944年8月、潜伏していたレジスタンスがドイツ軍に対して蜂起します。ワルシャワ蜂起です。これはポーランドまで進軍していた赤軍の呼びかけに応じてポーランド亡命政府が主導したものです。

ここに写真を出したゾウかどうかわからないですが、ポーランド動物園にはヤスという名前のゾウがいました。ナチスドイツが侵攻してきて殺されます。

ワルシャワ蜂起が始まり、レジスタンスがドイツ軍から奪った装甲車の前で撮った写真があり、この写真には、装甲車にヤスというニックネームがつけられたと書かれているそうです。

この写真にヤンは写っていないのですが、おそらくヤンの仕業だろうと著者は推測しています。

ヤスという名の装甲車の写真を探したのですが、ネットでは見つかりませんでした。

この蜂起の先に待っていたのも全体主義の苛酷さでした。

The Warsaw Zoo pictured in 1938, a year before the outbreak of World War II. 着色しました

 

 

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