松沢呉一のビバノン・ライフ

アイヒマン裁判での大芝居?—カ・ツェトニック135633著『痛ましきダニエラ(人形の家)』[11]-(松沢呉一)

腹の鍵十字(La svastica nel ventre)—カ・ツェトニック135633著『痛ましきダニエラ(人形の家)』[10]」の続きです。

 

 

 

生き延びた人々のそれぞれの負い目と遠慮

 

vivanon_sentenceイスラエルのことはもっぱら「パレスチナ問題」の片方の当事者としてしか認識してこなかったため、全然詳しくないのですが、相当詳しくなったところで、「なぜイスラエルでは『痛ましきダニエラ』は批判されなかったのか」を正確に解析することは難しそうで、日本の事情に引きつけて、「こういうことだったのではないか」と想像するしかないかと思います。

「なぜイスラエルでは『痛ましきダニエラ』は批判されなかったのか」というテーマについて書いたものは見つからず、以下は日本の事情に引きつけた日本人の私の見方でしかないことをお断りします。

日本においても地震や電車の事故、飛行機の事故で多数が亡くなる中で助かった人たちは、亡くなった人たちに負い目を感じて生きていくことになったりします。理不尽ですけど、「助かってよかった」だけでは終わらない。

強制収容所の生存者たちもしばしば生き残ってしまったことに負い目を感じるという話が出てきます。一方で、ゲシュタポに捕まらずに逃げたユダヤ人に対しての嫉妬を強制収容所の中で醸成させていくという話も出てきます。だから、同じユダヤ人で隠れている人をゲシュタポにチクる。

この辺の感情は複雑で、とうてい私には十分わからないのですが、もともとパレスチナにいた人や米国で生活していた人たちのように、直接にはナチスの迫害を受けなかった人々もいれば、ナチス台頭とともに国外に脱出した人、救援組織に匿われて戦後を迎えた人、収容所に入れられながら生き残った人はそれぞれに違う。

収容所で生き残った人も、殺された多数の同胞への負い目を抱えるため、どの層も「生き残れてよかった」では済まない。

だから、その数に比して、戦後そのことを語る人の数は少ない。とくに、収容所を体験した人たちを筆頭に、ナチスの迫害を受けた人々はどうしたって大きな傷を負うので触れたくないということにもなります。

そんな中で、堂々と自身の経験を語る人たちに対して、複雑な思いが生じる人はたち多いでしょうが、「それは違う」と思っても言わない。自身も体験者であることを隠している場合は言いようがないし、思い出したくないですから、読みもしないでしょう。

収容所を体験していない人たちが「それはおかしい」と言うと、「おまえに何がわかる」と反論されて黙るしかなくなることが目に見えているので、指摘することに遠慮が生じます。

同時に迫害を経験した人たちの間には仲間意識も生じます。外からの批判については庇い合う。

※アイヒマン裁判でのイェヒエル・デ・ヌール(下記参照)

 

 

収容所体験者の証言は虚偽であっても通ってしまう

 

vivanon_sentence収容所体験者は印籠を持っています。多くの人はひっそりと生きているにしても、その印籠を出す人は無敵です。腕の収容者番号を出せば誰もが黙る。

収容所裁判で見てきたように、ユダヤ人の怪しい証言は多々あります。ナチスが記録を残さず、残っていた記録は焼却して遁走したため、裏づけをとることが難しく、証言を集めることで、それらの矛盾点を探し出し、怪しい証言、怪しい証言者を排除していくしかない。この作業が裁判で十分行なわれたとはとうてい思えない。

怪しくなくてもユダヤ人の憎悪は目の前のカポや看守に向かいやすいため、憎悪の証言が末端に集中して、幹部は逃げて末端が被告となり、有罪になったり、処刑されたりしました。公正な裁判が求められたのではなく、ナチスに関わった人々を早急に死刑台に送ることが求められた裁判ですから、これでよかったわけです。私はよくないと思うけれど。

裁判に限らず、資料でそのおかしさを覆すことが難しいので、収容所体験者の証言は虚偽であっても勘違いであっても通ってしまいがちです。

あれだけの体験をしたのですから、そうなってしまうのは止むを得ないところがあって、その証言者を責められないと思います。それでも、事実関係は検証されるべきです。

痛ましきダニエラ』の場合は、日記があるというのなら、イェヒエル・デ・ヌールはそれを公開すべきでした。それを自身の創作に利用するだけなのは、いかに妹であったとしても、それこそ搾取ですし、歴史的資料の隠蔽とも言えて、ナチスの焚書に近い行為です。

しかし、イェヒエル・デ・ヌールはアウシュヴィッツ体験者です。その印籠の前には、それを要求することもできにくかったのだろうと思います。とくにイスラエルという国の中では。そのことをイェヒエル・デ・ヌールもわかっていました。だからドイツでは出版させなくても、イスラエルではドイツ語版を出すことを許可しました(これはドイツ語しかわからないユダヤ系ドイツ人だった人たちのためでしょう)。

※アイヒマン裁判で腕の収容者番号を見せるイェヒエル・デ・ヌール

 

 

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