松沢呉一のビバノン・ライフ

腹の鍵十字(La svastica nel ventre)—カ・ツェトニック135633著『痛ましきダニエラ(人形の家)』[10]-(松沢呉一)

ジョイ・ディヴィジョンの元ネタにもなったパチモン小説—カ・ツェトニック135633著『痛ましきダニエラ(人形の家)』[9]」の続きです。

 

 

 

ナチス・ポルノを鑑賞する

 

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痛ましきダニエラ』がのちのナチス・ポルノの原型を提出し、その部分にインスパイアされた人々がポルノを生み出していったのは事実でしょうし、『痛ましきダニエラ』の読みどころはまさにそこにありました。

過去に何本かは観てますが、今回、改めてナチス・ポルノを観て、『痛ましきダニエラ』がそれらのポルノに直接、間接の影響を与えていることをまざまざと確認いたしました。

イタリア映画の「La svastica nel ventre(腹の鍵十字)」(1977)は、カットされているシーンがあるのですが、YouTubeで観られます。監督のマリオ・カイアーノ(Mario Caiano)はポルノ専門の人ではなく、多数の映画やテレビドラマを手がけています。

イタリア語なので(ドイツ人もイタリア語)、細かいところまではわからないながら、あからさまに『痛ましきダニエラ』を踏まえています。

「快楽区」を小説の記述通りに再現していて、広い部屋にベッドが並んでいて、何人もの女たちが同時にドイツ兵とセックスです。

棒打ちによる公開処刑もほとんどそのままです。強制収容所で違反をした時の棒打ちの懲罰によって亡くなった人は多かったようですが、最初から棒打ちが処刑方法になっていたことってあるんですかね。私もはっきりとはわからないですが、アウシュヴィッツでの公開処刑は銃殺か絞殺だったかと思います。処刑するなら確実な方法を選択するのが合理的であり、棒打ちが一般的だったとは思えず、これも『痛ましきダニエラ』からの採用でしょう。

※「La svastica nel ventre」より。かつての恋人はナチスで働くようになり、「快楽区」の管理者になっていた彼女を探し出すのですが、彼女は救出を拒みます。その恋人との別れのシーン。泣くわ。会話の中にレーベンスボルンという言葉が出てきて、英語版Wikipediaを見たら、元カレはレーベンスボルン勤務でした(米タイトルは「Nazi Love Camp 27」)

 

 

痛ましきダニエラ』の発想は完全にポルノと合致

 

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主人公が将校の愛人になる点はフェラの展開を採用。その将校がマゾだったというのは『痛ましきダニエラ』にはない飛躍で、マゾなら、蔑視されるユダヤ人を愛人にする必然性があります。偏差値の高い大学を出たエリートが、中卒のヤンキー系女王様に蹴られたがるのと同じです(マゾの誰もがこういう嗜好を持つわけではないので誤解なきよう)。

ここは『痛ましきダニエラ』でやろうとしてあまりうまくはいっていなかった箇所を成功させたように思いました。『痛ましきダニエラ』ではハリーの意識が朦朧とした中で、セックスを介してドイツ人とユダヤ人の境界が溶融していく光景を見るに留まったのに対して、この映画ではマゾを導入することで、関係を逆転させ、ラストでは主人公がナチス将校を処刑します。

歴史的事実か否かはどうでもよく、エロ的必然性の方が大事。ポルノのリアリティですけど、これがポルノじゃなくても、実在した人物の実在した日記を元にしているなんてことさえ言わなければ私はスルーできそうですし、「パチモン」だなんて言わない。

最後の主人公の長セリフでは、ナチスや戦争、あるいは国家というものの非道を思い切り批判しているんだと思います。反ナチス、反戦、反全体主義の映画です、おそらく。

最後は殺されますが、決して彼女は人形ではありませんでした。救済されることも拒否します。

ラストの悲しいドイツ国歌「Deutschland lied」でジーンと来ましたよ。『痛ましきダニエラ』より、こっちの方がわかりやすく感動しました。いい映画じゃった。ポスターもいいです(下の図版)。

ポルノだからとこれを批判するような人たちには断固対抗したい。

※「La svastica nel ventre」から、主人公に射ち殺されるマゾ。

 

 

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