中国の怖さは末端にまで配置されたスパイ—ポストコロナのプロテスト[98]-(松沢呉一)
「香港からの脱出の障害になっているもの—ポストコロナのプロテスト[97]」の続きです。
末端スパイの実情
峯村健司著『潜入中国 厳戒現場に迫った特派員の2000日』を読んで、著者がさほど重きを置いていないであろうところで目を見張った点がありました。
著者は朝日新聞の特派員として中国に滞在し、本書はその時の取材をまとめたものです。もっと大きなテーマも扱われているのですが、私が注目したのはスパイの話です。
著者が取材をした元スパイをAさんとします。Aさんは内陸部の農村出身。17歳の時に軍で働くいとこから「いい仕事があるか北京に来ないか」と誘われて、上京(中国語で北京に行くことを上京とは言わない。これは本書に出てくる用語ではありません)。
軍はアパートを世話してくれて、Aさんはスパイになります。同年齢の倍以上の報酬が出るとあります。学歴のない農村出身者は給料が極端に安い店員か工員の仕事しかないので、倍以上でもたいしたことはない。日本の感覚で言えば20万円にも満たないような金額かと思います。レートに照らせばもっとうんと安いでしょう。
いかに中国が金持ちになったと言っても農村出身の下層はなお貧しい。中流層が普通に利用しているマクドナルドでさえも、下層の人たちにとっては給料日くらいしか行けない贅沢な場所だと中国で聞きました。もう10年くらい前ですけどね。
Aさんは軍幹部に写真を見せられ、「この人物に接近しろ」と命じられ、出入りするバーに向かい、見事にその男のマンションに行き、交際をスタート。これで数千元をもらいます。日本円で言えば数万円。はっきり書かれていないですが、出来高払いの報酬の合計で農村部出身の同年代の倍以上の収入になるのだろうと思われます。
相手は欧米のどこかの国の大使館員で、相手の交遊関係や行動予定を報告。そのたびに数万円をもらえれば、同世代の収入の倍くらいになるのでしょう。
Aさんは外国人が出入りする「高級サウナ」で働くなどして、2年間スパイをしますが、「将来性がなく、苦労のわりに稼ぎがよくない」ために辞めます。また、彼女は「やはり人をだますことには罪悪感がありました」と言ってます。
これですよ。「飛行家・スパイ・公娼廃止活動家の華々しき自伝—マルト・リシャール著『私は女スパイだった』[1]」に書いたように、私はスパイになれません。スパイになれるとしたら、いくつかの条件があって、Aさんは十分にはその条件を満たしていませんでした。
「職務に忠実」と言ってもアルバイトみたいなものです。報酬も罪悪感を拭えるほどは高くない。人を騙すことが国のためと思えるほど愛国心も強くない。
※峯村健司著『潜入中国 厳戒現場に迫った特派員の2000日』 この本には、特派員は現地の報道を見てまとめていれば仕事になるとの話が書かれています。特派員の記事はホントにそういうのが多い。BBCは、現地の書き手に依頼した記事もよく出していて、あの方法を使えばいいのですけど、日本では国外記事の需要がないですから、そこまではできない。そういうことを書いているくらいで、著者は外に出ての取材を続けていたのがこの本ではよくわかるのですが、通訳に関する記述が出てきません。通訳を使っていても、そのことには触れない人も多いですけど、通訳を使えない局面も多く出てきます。文法はシンプルだし、漢字ですから、読むことはそんなに難しくないとして、中国語は方言も多いため、単独で取材できるほどに中国語が話せるようになるには相当努力しているはず 通訳なしで現地で十分に取材ができるかどうかは言葉に関わってきて、特派員は語学の能力が必須ですわね。
女優・邵小珊の場合
スパイに関しても、もう一人著者が取材した人物が出てきます。こちらは邵小珊(シャオ・シャオシャン)という女優です。
彼女は父親の知人である軍高官からスパイの話を持ちかけられ、「人を裏切る仕事にかかわりたくない」として断り、それがために軍に脅されて、そこから逃れるために外国人記者に限定して取材を受けるとSNSに書き込み、著者は取材をしたという経緯。
こちらもまっとうな神経の持ち主であり、その罪悪感を乗り越える理由を持っていなかったというわけです。
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