松沢呉一のビバノン・ライフ

エクスティンクション・レベリオンは役割を終えた—ポストコロナのプロテスト[ボツ編5]-(松沢呉一)

エクスティンクション・レベリオンにちらつくエコファシズム—ポストコロナのプロテスト[ボツ編4]」の続きです。2020年9月に書いたものです。

 

 

 

環境問題で感情に任せていいのは10代まで

 

vivanon_sentenceここまで繰り返してきたように、ウイルスの恐怖は全体主義、民族主義、排外主義を生み出し、依って立つ強い国家を求めます。同じく人類は滅亡するかもしれないという恐怖はそれらを生み出すと考えるのはそう無理がないでしょう。

XR(エクスティンクション・レベリオン)の中心メンバーたちは、ストレートにはエコファシズムを肯定しないでしょうが、かといってそれに対する警戒もなさそうです。根拠なく中国政府に期待しているくらいで。従来の環境運動家たちが言っているように、環境運動はエコファシズムに転化する危険を孕んでいて、だから警戒をしてきたことをXRは継承していない。


私が最初に感じたXRに対する違和感はたかがマスクです。それだけならいちいち文句を言うのは大人げないですが、そこからXRのことを調べていくにつれて、マスクこそが彼らの危険性を象徴していると考えるようになりました。自省の欠落であるし、情報の収集をしていないってことです。現実から乖離した運動は危険です。

彼らはグレタ・トゥンベリにも大きな影響を受けて活動を始めたようです。グレタ・トゥンベリを支持はしないですが、彼女がヒストリックな行動をすることは年齢によって許容されると考えてます。何十年も生きてきた人たちほどの責任はない。一方的に未来を奪われた存在として大人たちに怒る資格があります。

しかし、そのまんまいい大人たちが自省も自制もない行動をするXRは批判するしかない。

XRは組織がアバウトなので、誰かが勝手にXRを名乗ってもいい。こういう個人主義的な社会運動は私の好みではありますが、そのアバウトさがもたらす負の効果が見事に出ています。

深い思慮もなく、おかしなことをやってしまう人々をとめられない。自分は生活が安泰なので、移民労働者たちが乗る電車を停めても心が痛まない人たちが、その行動の意味を検討しないままXRとして行動する。このタイプの運動は理性なき衝動の人々が集まってきてしまいます。

好き勝手にやっていい運動は規模が大きくなるとどうしても逸脱者を生み、誰かがやったら別の誰かがもっと派手なことを狙うものです。それに意味があるかどうかは考えなくなって、行動自体が目的化し、何かしたことが達成感になる。

行動優先の社会運動、イベント化した社会運動では、ひとつひとつ丁寧に考えることをしなくなる。「マスクは必要なのか」「中国政府が環境問題に取り込むことがありえるのか」なんてことより、「プラカードの色はどうしよう」が優先されます。自分らが内包する問題を自省して考えることはこの先もないでしょう。

※2020年3月25日付「METRO」 XRが公式に出したものではなく、むしろXRを貶めるための貼紙かもしれないのですが、「(地球環境にとって)人類は病気である。コロナはその治療である」と書かれています。この考え方は「人口が多いことがいけない」という話につながり、いまなお人口が増加するアフリカ、中東諸国への憎悪を生みますし、「コロナという治療法」をもっとも受けているそれらの国々や先進国内の貧困層、ロックダウンによる自殺者も肯定され、アフリカで勃発する内戦も肯定されます。深読みかもしれないけれど、難民に対する姿勢の硬化もこの発想が関わっていそうです。人口が多くてあぶれた国々の後始末をどうして自分らがやらなければならないのかと。

いかに否定しようとも、経済活動を停止することを求めるXRにとってロックダウンは歓迎すべき事態であって、これ自体、私は受け入れられません。つっても世界はこれを受け入れた以上、世界がファシズムに半ば足を踏み入れたってことです。ゼロリスク対策にとってもっとも望ましいのは全体主義です。ロックダウンに見られる全体主義的施策と、国民の全体主義的発想を見ると、世界はXR化したのであり、そっちを肯定しておいて、XRだけを批判することはできない。どちらも私は否定。

 

 

金集めのサイクルにはまっているのでは?

 

vivanon_sentenceXRは旧来の環境運動家たちからも「地に足のついた活動から始めろ」と批判されていて、まとめて同じように見られるのはさぞかし迷惑でしょう。

XRのメンバーの自己肯定の言い訳としては「緊急事態だから」というのがあります。これで無思慮であることも他人の迷惑になることもすべて肯定されてしまう。

しかし、以前から環境問題に取り組んでいる人たちからすれば「30年前から緊急事態だったんだよ。今まで何してたの?」って話です。たしかにここに来て加速度がついて世界の環境は壊れつつあるわけですが、今日明日で解決する問題ではありません。

私だって環境問題には踏み込むことに躊躇するように、難しい問題です。調べること、考えること、議論することが必須です。

XRが目立つ行動をしてよかったのは最初だけ。そこでインパクトを社会に与えて、問題を知らしめる役割を終えたら、各自の得意分野に散るべきでした。実際、すでに離れた人たちもいます。賢明です。

 

 

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